caguirofie

哲学いろいろ

神は観念であると言う思考回路は 自爆テロ屋さんと同じだ。


だって その観念の神をドローンとしてのように飛ばし如何ようにも想像力を翔けめぐら
せ好きなようにあやつることができるのが その人間だから。

それが テツガクだと思っている場合 敵対心のくすぶるかぎり 自然科学のチカラでや
れるところまではやりつくしやり抜くはずだ。

だから対話でコーナーに追い詰められ思考に窮した最後には ののしりの爆弾を放って自
爆する結果となる。

でもそれでもなお 観念の神のふところにいだかれていて――あるいはむしろその繭の中
にくるまれていて――安心だと思っているかも知れない。

神は・普遍神は 観念や人間の思考を超えている場であるからには 人にはきよらかなお
それを持つようにさせる程度のはたらきにとどまる。神を人間があやつれるはずがない。

ちがいますか。


>神が(能動的に)「抱く」という動作をするはずは(恣意的な主体としては存在しないのだから)ありません

 本来、神は分からないものです。ところが「分かった」と主張する人が現れてしまった。もしそうなら預言者です。普通の宗派はこういうことはないはずです。ヒエラルキーがあって、自分が預言者になるかもしれないなどとは誰も考えていないと思います。数千年に一人だと思っているし、自分が預言者でないからこそ、イエスムハンマドが重要なのでしょう。ところがある一部の宗派では、神の声を聞く預言者の安売りバーゲンが行われているようだと感じます。預言者を量産するか否か。これが危険か否かの分水嶺ではないかと考えます。

すなわち このような分水嶺は あって無きがごときもの。
容易に打ち破られます。それが 観念の世界であり想像力の問題です。文学つまり虚構の世界です。
思考回路は まったく同じです。