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哲学いろいろ

国鉄

葛西敬之私の履歴書 人生の転換点 日経 2015・10・15

現場にはびこる悪慣行をやめさせ 国鉄労働組合国労)に徹底した信賞必罰で臨んだ結果 賃金カットの山が築かれた。もともと先鋭的な活動家は一握りしかいない。賃金をカットされれば生活にも響くはずだ。組合員の間には動揺が広がっていった。

 妥協しない私のやり方に 仙台の国労も東京の国労本部も驚いたようだ。同じように驚き 困惑したのが 国鉄本社の職員局だった。《悪慣行とは言っても労使で決めたことだから やめるならちゃんと手続きを踏むべきだ》と忠告してきた。
 組合が複数あるため経営がうまくいかないと考えていた当時の職員局は 組合を国労一本にまとめたいという意向を持っていた。だが私の目の前で日々問題を起こしているのは その国労なのだ。


 このまま厳しい態度をとり続ければ 国労を第一に考える職員局と正面からぶつかる。かといって 本社の方針にしたがって国労と仲良くやれば 真面目に働いている鉄道労働組合(鉄労)の職員や助役たちを裏切ることになる。
 うまく泳いで 任期をやりすごす手もあるかも知れない。だが国鉄のキャリア組である私たちが筋の通らない組合の要求に屈したり 水面下で労組幹部と手を握ったりしてきた結果が いまの現場の惨状なのだ。鉄道を管理する視点から見て《正しいかどうか》という物差しを変えるわけにはいかない。


 《正式な協定にもとづくものなら尊重します。でも私が問題にしているのは現場の管理者が脅され 無理やり決めさせられた慣行。紙くず以下のものです》。本社にはこう説明し 従わなかった。
 その後もたびたび指導や要請があった。《とにかく本社に迷惑がかからないようにしてほしい。おかげで組合との東北新幹線の交渉が止まっている》とも言われたが 是々非々で臨むだけである。


 本社を敵に回しているというプレッシャーはなかった。それまでキャリア組に不信感を持っていた部下たちが 私についてきてくれている。現場にいる良識的な組合員たちも同じだ。だれが安定した鉄道の運行を妨げているかは明らかなのだから 徹底的にやるまでだ。
 仙台鉄道管理局での勤務は 私の鉄道人生のターニングポイントになった。組織の方針や価値観にとらわれずに実態を見極め 自分が正しいと思うことをやる。この姿勢を貫くことで 私は自立した。


 《このまま葛西に仙台にいられては困る。とにかくもう本社に帰してくれ》。いよいよ危機感を募らせた国労は 私の《栄転》運動を始めた。新たな職場でまた摩擦を起こすことのないよう お金と権限のない部署に栄転を というのが国労の要請だった。
 しばらくして本社よりも早く 国労の幹部から 《内示》があった。《葛西さん 栄転先が決まったよ。経営計画室だってさ》。私は就任時に与えられた課題である東北新幹線の開業を見届けることなく 予定より1年早く仙台を去ることになった。


 国労が要請した通り そのころの経営計画室には大きな仕事がなかった。ところがこの異動によって偶然にも 国鉄の行く末*1を左右する極めて重要な鍵を握ることになる。
 1981年4月 私は東京の国鉄本社に戻った。

*1:国鉄の行く末:民営化のこと