augustinus:律法は
律法が入り込んで来たのは 罪が増し加わるためでありました。
(ローマ書5:20)どのような目的で律法が与えられたのかということにユダヤ人たちが無知なのを この言葉によって十分明らかにしている。なぜなら 恩恵が信仰によって生かすのであって 律法は 生かすものとして与えられたのではなく 自分の力で義を全うできると思い込んでいる人々がどれほど強く罪の絆に縛られているかを示すために 与えられたからである。
欲望は禁止によってますます激しくなり 律法に逆らって罪を犯す者たちに違反の罪は付きまとうという仕方で 罪が増し加わったのである。
・・・
なぜなら 罪に対して死ぬということが 恩恵の働きだからである。
(アウグスティヌス:Expositio quarundam propositionum ex epistola apostoli ad Romanos ローマの信徒への手紙選釈 [30] 岡野昌雄訳 著作集26)
恩恵の下に置かれ 心で神の律法に仕え 肉で罪の法則に仕えている人は 肉の欲望は存在していても もはや罪を犯すように同意することによってそれに仕えることはしない〔からである〕。
(同上 [46])