caguirofie

哲学いろいろ

#4

もくじ→2007-04-16 - caguirofie070416

第一章d 神の国について

スサノヲは 追放され この世から そして神からも 見放されたのですが ちょうどこの神から見捨てられたというそのこと自体によって 神はスサノヲを見捨てていなかったのです。スサノヲはこの世に死ぬことによって 復活しました。ここで神の国が現われたのです。すなわち日本人のそもそもの歴史のはじめ。

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 スサノヲはこの世で イヅモのくにに 共同体をきづいて行きました。これが 日本における神の国のはじめ。イヅモ共同体が 神の国なのではありませぬ。イヅモのムラのスサノヲらにとって 神が王であることが時間的に生起した。これが 神の国です。逆に言い換えると イヅモのムラとアマテラスの世界 これら二つの世界の人びとに 神の国(真実の現実)を問い求める場が・いわば鏡としての現実が この世で 確定したのです。すなわち日本人としての《歴史》のはじまり。また 《やしろ(社会)》のはじまり。

 スサノヲらに生起した神の国(そのような常識)は ただちにその時間(生活)をとおして まず過去を見出します。同じように 反対に 未来を見出したでしょう。だが まず 常識による想像をとおして(観想をもって) 過去へと時間をさかのぼりました。

 かれらは いまから言えば 自分たちのエデンの園を問い求めていきました。なぜなら いま スサノヲに神が王となり 神の国が視られることになったのですが そのことによって これまでの呪術の園におけるこの世の人びとの死が死となった そして生が生となった したがって 過去と未来という時間を 現在という時間に対して認めるようになった だから この現在のみなもとを知りたいと欲したからです。スサノヲらは 自分たちが人間であることを知った。だから 死ぬべき存在としてこの世に生を享けたことを見出した。このことは 遠く過去をさかのぼらせ 自分たちの祖(おや)をさがし求めさせた。人びとそれぞれの家系としてではなく 最初の人間である祖たちにこの神の国は生起したのか いまわれわれに王である神は かれら祖にとっても王であったのかどうか。
(つづく→2007-04-20 - caguirofie070420)