caguirofie

哲学いろいろ

#1

もくじ
人間が《考える》とは どういうことか
・・・a:本日
・・・b:2006-11-19 - caguirofie061119
人間が《信じる》とは どういうことか
・・・a:2006-11-19 - caguirofie061119
・・・b:2006-11-20 - caguirofie061120
《信じる》と《考える》との関係:
・・・2006-11-21 - caguirofie061121
《考える》は《信じる》の関数であるが 《信じる》は《考える》の領域で表現される:
・・・a:2006-11-22 - caguirofie061122
・・・b:2006-11-23 - caguirofie061123

人間が《考える》とは どういうことか

人間に必要なこととして 《息をする》と《食べる》とを まず取り上げてみよう。
人間が生きるというとき 一つに 生まれてのち そのまま 生きているということがあり もう一つに この生きていることを考えて生きるということが あるわけである。
そこで 《呼吸をする》については それを意識しておこなったり あるいは きれいな空気を吸いたいと考えておこなったりすることがあるが おそらく 取り立てて《考える》に結びつける必要なあるまい。《食べる》についても この呼吸のばあいと それほど ちがわない。何を食べようかと考えた後では その選んだものをよく噛んで食べるよう意識したりする程度であって 食う動作じたいは 《考える》とつなげる必要はあるまい。
ただし 呼吸のばあいとは違って 食べるばあいは 何をえらんで どのように調理して どれだけ食べるかとなると この広く食文化ということは 考える行為と切り離せないものがあり むしろ 《考えながら生きる》の基本をなすとさえ 言わなければならない。
もちろん 宇宙ステーションとなると 《呼吸》のばあいも同様であるのだが ともかくこうなると 着る・住むとならんで 食うは 考える行為として 経済学にまで発展するというわけである。
ここでは 経済学じたいの内容をあつかおうとするのではなく そもそも抽象的に 考えるとは どういうことか これを考えていこう――考えておこう――とするものである。


そうすると おそらく第一に 《人間が考えるとは どういうことか》を考えるということに 素朴に・かつ基本的に 焦点をあてることができ またしたがって そこに 回答のヒントがかくされているように思われる。
そして この小論では さらに細かく具体的に つぎのことを テーマとするはずである。
たとえば《人間は考える葦である》というのは うえの一焦点にかんする人間の考えの成果の一つである。《人間が考えるとは どういうことか》の問いに 《人間は考える葦である――葦とは 弱い生物だという意味である――》という一つの回答が たとえば 寄せられているわけだ。そして ここで具体的なテーマというのは いまの問いに対する一つの答え(それは 考えることの一つの成果である)と さらになお人間が考えるとはどういうことなのかとの これら二つの事項のあいだの関係なのである。成果(考え)と過程(考える)との関係なのである。
ややこしいことを言うと 言うなかれ。
(つづく→2006-11-19 - caguirofie061119)