caguirofie

哲学いろいろ

#27

――やしろ資本のおもろ――
もくじ→2006-09-17 - caguirofie060917

第三章 日本国由来記

第六節 国家形態のアマクダリ

《かけまくも畏かれども 言はまくも恐かれども 白檮原の宮に 初国知ろしめしし大御代ゆ》(大勢三転考)というときの《カシハラの宮〔ミ(霊)‐屋。霊的なオモロ共同主観〕》には 二つの段階があると思う。一つの段階=大前提と その一派生形態の段階と。
やしろセヂ連関が 一定のヤシロ資本として《あかぐちや‐おぼつ》連関形態にひろがった共同主観の動態 これが ミマキイリヒコ・デモクラシであったが これと その後 形態的にこの構想が国家となった段階とである。後者のときには 実質的に一つの権力体制となったと考えられる。第二階のアマテラス圏が 基礎階のスサノヲ圏を主導する権力制度のことである。
《タカマノハラに神留まりまして 事始めたまひし神ろき・神ろみのミコトもちて 天の高市八百万の神たちを神集へ集へたまひ 神議り議りたまひて・・・》(遷却崇神のノリト)というように 《はじめ》にタカマノハラ(おぼつかぐら)が オモロされるというのは 第二の段階である。つまり 国家形態の確立以後のことであると考える。言いかえると その前の第一の段階についても この同じ国家構想としてのオモロが成立した時にそれをあてるのであるが そこでは 《赤口や‐おぼつ(もしくは タカマノハラ)》連関が構造的に 拡大されたヤシロ資本の全体として その動態としてオモワレ しかもまだ タカマノハラ要因を第一義には出して来なかったのではないかと。
どこまで どの微視的な段階で それが 普遍アマテラス語化されてオモワレたかが 問題であるが 逆に言うと その巨視的な第二の段階で タカマノハラと称されたオボツカグラ(天)が はっきりと第一位の席・また 垂直に最上位の席を 人びとの共同の観念の運河の中に 持つと考えられるに至ったのだと。大勢三転考に言う《第二転》には これら二つの異なった段階が存在したと考える。

  • この想定が たとい もし真であるとしても ここに言う第二の形態段階がむしろ一挙に先に出来あがったのち そのような人びとの内なるオモイの歴史的な推移(また 史観)の想定として もたれるようになったのではないかという反論に対しては 次のように答えることができる。
  • いわゆる農耕民族のあいだにも 部族国家・原生国家なるオモロ共同主観は 歴史的に発生したという事実。また この国家ないし王の共同主観オモロがはじめに先に持たれて 実際にもそれが出来上がったという例は ユダヤ社会に顕著である。そして むしろ一挙に形態的に権力的に成立する国家――そのばあい その大前提としての共同主観オモロの有無を問わないで――のほうが 原生的な国家・民族国家であると考えるのであり ここに想定する共同主観オモロとしての国家構想(動態)の成立 これのほうが 基本的な国家 もしくは そのようなヤシロ資本連関の一形態ではないかと 推測する。

とまれ 第一の段階 ミマキイリヒコの言うならばカシハラ・デモクラシ共同主観では 第三のスサノヲの受け容れの動態が 基本的に すでに確定されていたとも考えなければならない。だから 仮りに 騎馬民族=ホムダワケ応神天皇によるカワチのアマテラス政権の誕生から それが目指すところの形態国家の確立 言いかえると《フジハラ》なる国家オモロの確立には その後もおよそたとえば天武天皇による国家統一の時あたりまでの時間を要したのであると。
しかしながら この第二の段階で 形態的な国家 《タカマノハラ(おぼつかぐら)‐トヨアシハラ(あかぐちや)》=《アマテラス圏‐スサノヲ圏》連関体制が設立されたときからは ふたたびむしろ動揺をきたしてのように たとえば《われ韓神(第三のスサノヲ)の 韓招ぎせむや》(カグラ歌)というオモロが 明言されてうたわれなければならなかったのであると。わたしは 仮りに これが征服の過程を示すものであるとしても きわめて複雑なオモロ構造の展開が示すように この第二の段階の以前に やはり第一の段階を想定することが もっとも歴史的な事実を反映させうるであろうと考えたい。
たとえば第一の段階・ミマキイリヒコのデモクラシ確立の以前に ヒミコ連合派とカヅラキ独立派と静かなるイヅモとの三種のオモロが生起しており 第二の段階・国家形態の形成過程において 連合派(取り替えばや)と独立派(主体思想)とが 新しい段階で綜合されてのように新しいフジハラ主体思想なるオモロとなったというようにである。その間には ミマキイリヒコのカシハラ・デモクラシ成立が一時期を画し この素朴な《タカマノハラ‐アシハラ》連関を フジハラ・仮象デモクラシは 独立主体化したタカマノハラ・オモロのもとに 継いだのであると。それは 第三のスサノヲが この過程で 同化していったからだが このフジハラ仮象デモクラシのもとでは その主体思想の中でも 連合派取り替えばやのオモロを 《韓招ぎ》の論理として うたうようになったのだと。カシハラ(ミマキイリヒコ)・デモクラシのフジハラ・オモロへの転化において 主客の転倒が――そうする必要がなかったにもかかわらず―― 観念=権力的に おこなわれたのではないか。
これが 《天の石位を離れ 天の八重たな雲を押し分けて 稜威の道別き道別きて 天の浮橋にうきじまり そり立たして 筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺にアマクダリした》(古事記)というように 水平的な移動ではなく 天おぼつかぐらから降りて来たのだと 原始心性的に オモロされ 成立したのではないかと。言いかえると 原始心性とて これの虚偽をむしろ 了解していたのだが 偽りであることによって――偽りであることによって―― 成立してしまったのであると。
実は ファシスムなるオモロが これである(P.ドラッカー:経済人の終焉)。また 大本営発表が これであると思われる。つまり すでに カシハラ・デモクラシが存在するところへ――これは 文献的にも立証されうる―― そのセヂ連関の奥の院へ身体を置いてのように この第一のカシハラ・オモロを 見えないものを見えるかたちに変えて その奥の主体であるフジハラなる位置から 観念の資本として=権力体系として なぞらえて成立させたものであると。ヨーロッパのファシスムには 《フジハラ》なるオモロ形態は 存在しがたかったという違いだと考えられる。幻想・偽りであるゆえに むしろ受け容れられたという一面を同じくし しかも ナチスムは 《韓(ユダヤ)招ぎ》するのではなく 明確に それを排斥するかたちを採った。
これは はじめの《第二転》に際しての歴史的な大前提 国家構想のオモロ共同主観 これの掌の中で 核分裂 そして スサノヲ語のもっぱらのアマテラス語化をおこなったのであるにちがいない。ナチスムは スサノヲ語(市民生活の素朴な感情)と 最終的には違うところのユダヤ人排斥というおかしなアマテラス語をとなえた。これは 静かなるイヅモ その沈黙の共同主観に耐え切れなくなった人びとのしわざであるに違いない。だから 虚偽と知りつつ 従うことによって愛さざるを得なかった。
見えないセヂ連関を 国家形態の観念的(権力的)だが見えるセヂ連関の運河としたものであるに違いない。だから 《山葛》をつけなければならなかった。
国家構想が共同主観されたということは まだ 各地域のスサノヲ共同体としての按司〔連合〕時代であったに相違ない。しかも その中から 一人の按司添い=ミマキイリヒコを立てたものに相違ない。その後も 原日本人のオミ・ムラジらのカバネと 第三のスサノヲのイミキ・スグリらのカバネと これらの按司の連関時代――しかも 一個のヤシロ資本構想――であったに相違ない。
ここで 国家構想を形態的に実現して その意味で 見える運河なるセヂ体系とし それ(つまり 制度と権力体系)のもとに 第三のスサノヲとの共同自治をおこなおうとあせったに相違ない。そうした人びとは 第三のスサノヲ本人たちであったか フジハラ氏であったかである。各按司のスサノヲ共同体の《まつり》を統合して 抽象普遍的な一つの《まつりごと》のもとに いわば主観(客観?)の安定を求めたに違いない。スサノヲのこの意味でのアマテラス化であり 単独アマテラス圏の成立である。まつりごとの主宰者は ちょうど《聞こえ大君と按司添い》とのおなり・ゑけりのセヂ連関を反映させてのように しかし もはや性倒錯してのように アマテラシテ象徴とアマテラス社会科学主体とが立てられ――言いかえると はじめのアマテラス按司添いミマキイリヒコが このように核分裂かつ二重構造化し―― これらがマツリゴトを担うようになった。
ミマキイリヒコのときには 《カシハラ》が 《あかぐちや‐おぼつ》連関なるオモロとして 思われた。我れ思う ゆえに 我れありの我がオモイは その精神の領域一杯に自由に広がったのである。ところが その内のオボツは それ独自の領域を見出してのように 自らをタカマノハラ圏として立てた。オナリ(女)‐ヱケリ(男)の性関係としてのセヂ連関としては 中性化したアマテラシテと一般的な人間としてのアマテラス者とが 当てられた。このとき アマテラシテ象徴が男性であるとき そのゆえ―― 一般に 第一男子がこのアマテラシテであり 第二男子がアマテラス統治者となると言われる―― 性倒錯と言われる。

  • ミマキイリヒコのもとには オホタタネコなる共同主観者スサノヲの代表がいた。つまり ミマキイリ日子・アマテラスと オホタタ根子・スサノヲとのそのような共同主観的なセヂ連関である。ここまでは 二重構造化といえば そうでありうるが それでも ミマキイリヒコは オホタタネコの見解に従ったのである。つまり 全体として カシハラ・デモクラシに オモロの動態過程において 従順であった。だから タカマノハラの単独分立は ありえなかった。
  • これは よくも悪くも ただ ヤシロ形態としての仮りの共同自治の一方式なのである。ミワ市政といった形態である。

しかし フジハラ仮象・二重構造化デモクラシのもとでは この根子(S)‐日子(A)連関を そのタカマノハラ圏内部において独自に 設定したから 本来のおなり神としての女性は または男性は この中性化されたアマテラス語概念とのセヂ連関形式の中においてこそ ヤシロ資本主体であるとされた。言いかえると はじめのカシハラ・デモクラシなるヤシロ資本連関の輪から出てのように その外へ 観念共同的に追いやられ(自らを追いやり) 女性については《品ももとめない》という(そう言いつつの)蔑視の対象とみなしたと考えられるからである。つまり これが 性倒錯であった。
ところが 第二転の第一段階 カシハラ・デモクラシの共同主観的成り立ちは こうではないであろう。何度も言うように つまり 聞こえ大君(また スーパーツカサ)なる存在もなかった。卑弥呼は 一たん しかし 基本的に 揚棄された。ネガミ・ネヒト(根子) 按司ノロの存在は保持され たとえば ミマキイリヒコの共同主観やしろ形態のもとでは 神の子とされたオホタタネコが 神主となった。ミマキイリヒコとオホタタネコとは タカマノハラを主宰するのではなく カシハラ・デモクラシとして 《赤口や‐おぼつ》連関のスサノヲシャフトの共同自治をになうのであり 神は それらの上に・外に・あるいは セヂ連関として 表現じょう 中に 見えない形ではたらいた。たとえば オホモノヌシ(大物主)の神 あるいは 同じ事で オホハツセワカタケ雄略天皇のときには ヒトコトヌシ(一言主)の神と表現されている。
この第二転の掌の上で形態的な国家形成という第二段階だあらわれたのである。また すべてのことの《はじめ》を おぼつかぐらの方に見立てて そこから 全体として《赤口や‐おぼつ》連関のオモロを語り出し これをアマテラス語理論化し タカマノハラ思想に築き上げた。オホモノヌシまたはヒトコトヌシの神を この《天》に置きかえたのである。または カミは もともと天なる存在であるとするならば 《山葛せよ》というように この《タカマノハラ》という言葉を その形態的な・外形的なしるしとしたのである。山‐川というように 観念の運河をわたるときの合い言葉としたのである。タカマノハラ体制の通行手形である。
アマテラシテ象徴 のちの天皇が 現人神(あらひとがみ)とされたのは むしろ神の子オホタタネコの位置についたからであって そのアマテラス語理論の所産であって 実質的なアマテラス社会科学主体つまりたとえばフジハラ氏が 共同主観の指導者ミマキイリヒコのあとをおそったことになる。ところが すべてのスサノヲが 神の子なのである。そういうカシハラ・デモクラシなのである。万人が自由に万葉をうたうことができるスサノヲ主権のセヂ連関社会である。つまり カシハラ・デモクラシを共同主観するヤシロ資本主体としては このセヂ連関の子であり 歴史の子であり すべての人が オホタタネコとして神の子である。そう表現して 一向に差し支えないであろう。現代では 法の下の平等というオモロのもとにあるのと同じである。
このオモロのもとでは すでに 女性と男性との平等(動態的な平等連関)が 確立されているだけではなく デモクラシというほどに 表現じょう 神の国なのである。
一九四六年憲法によって アマテラス語的にながら この歴史の第二転のときの原共同主観が よみがえったのである。これは 動かされざる歴史である。また この程度ながら 日本のくには 世界の中で 特異な存在なのであって 北畠親房も 《異朝には この事なし》と観想して述べたのである。また 新しい憲法の成立は 新しい第四・第五のスサノヲ(ヨーロッパ等)のオモロに負うている。つまり 特異というのは もちろん 相対的である。わたしたちは ユダヤ社会には このことがあった そしてまた 沖縄の歴史が このことをよう原形的に伝えていると述べたのである。
この主張は 自己のやしろ資本主体としての認識を きびしく迫るものなのであって それを民族主義というなら このわれわれの認識するオモロを 自己の中に取り込んで 独立・内部連合派としてのタカマノハラ主義にみづからが立っていることを照明するものであろう。《あかぐちやが依りい憑き ぜるままが依い憑き》 自己を核分裂の主体として 聞こえ大君となて号令をかけていたいと欲したことになる。カシハラ・デモクラシを 目に見える観念の運河に形態化させ これを見なければ我がオモロは落ち着かないのだというお客さん意識から発したものなのである。よそから来たという人びとの中に このナシオナリスムのオモロが持たれることも多い。原日本人のスサノヲたちは 十二分にクニユヅリをもしつつ 渡来したスサノヲたちを 自分たちの中に受け容れたはずなのであるが それでも 警戒心を解かない人びともいるということである。
静かなるイヅモのことを つまりイヅモなる鏡に映ったヤシロの姿はこれを 見ているが これが鏡は鏡であることに気づかない。言いかえると 仮りのアマテラス語表象したオモロ共同主観であることに気づかない。鏡を見るのではなく 鏡をとおして セヂ連関を――つまり お望みなら 神を―― 見るのである。《聞こえ大君‐のろ‐かみ / 王‐按司‐根人》の形態的な目に見える秩序――つまり 典型としては 軍隊である――がないことには 落ち着かない人びとであるらしい。人びとは この連合取り替えばや・かつ独立派の主体思想核分裂に 感染したのである。
秩序は秩序であり 秩序が必要である。しかしそれは 動態である。
かれらは 《聞こえ大君が 降れて 遊びよわれば 天が下 平らげて ちよわれ》(一・1)という内なる声を 形態的に 聞いた。このオモロ構造を 外形的に《聞こえ大君‐王》体制のもとに見ていないと 不安であるらしい。なぜなら 主体思想を述べつつ そのじつは お客さん意識に支配されており 第三のスサノヲというお客さんに だからあるいは 自己に 我慢がならないからであるらしい。それは 核分裂の自己であり 核拡散の支配欲に支配された自己を 自己であると――ちょうど 性倒錯してのように――錯視したからである。上品にこれをおこなう人は 学者となって 時に 核分裂思想を ちょうど放射能を発散させるようにして しかし アマテラス予備軍となって=つまり《フジハラ》オモロと交接して 研究・表現し 一生を過ごす。
だから この聞こえ大君のオモロ――それは 共同主観つまり核連関の基盤としては 見えないセヂ連関としてのカシハラ・デモクラシである それをこの沖縄のオモロでは 逸脱しなかったそのオモロ――を 形態的に実現しなさいとの声として聞いた。この原共同主観の声の中で 踊り上がって アマテラス化したのであると思う。《撃ちてし止まむ》と。このアマテラス化の核分裂が 歴史的におさまるところまで行っておさまるまで イヅモは国譲りしたのだし 見守っている。なぜなら かれらを愛したから。自分たちが 目に見える現実的に 《天が下 平らげて ちよわる》のを見るまでは おさまらないという人びとに 何か特効薬があると思うであろうか。愛のほかに何か特別の治療薬があるであろうか。
ところが この核分裂は おさまるところまで 歴史的に来たところである。イヅモが 罪(このばあい 核分裂)を免れているとオモッテはならない。しかし 赤口やぜるままがなしに とどまってのである。なぜ そう出来たかは わからない。経験的な歴史事実を言っている。けれども 現実に 反核も起こった。国家形態は たしかに仮りのものであったと改めて共同主観される日が来た。われわれは このとき ただ沈黙していることは 罪であると考えた。
しかし わたしたちは 何か 形態的に運動をなすであろうか。もし それがあるとするなら これまでの形態的な運動の終息のためのものではないだろうか。しかし 愛によって始めたのなら これによって進まなければならない。《聞こえ大君が 降れて 遊びよわる》ことを 主観の内に聞くのでないなら なおふたたび わたしたちは 新しい核分裂を繰り返すか それとも いまのアマテラス予備軍を継ぐことになるか そのことは 請け合いである。

(つづく→2006-10-15 - caguirofie061015)