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哲学いろいろ

#3

もくじ→2005-11-28 - caguirofie051128

第三章 自然の目標の実践形式

《エミル》という書物の標語として ルウソは 次のセネカ*1の言葉を掲げている。

わたしたちが苦しんでいる病気はなおすことができるし よき者としてうまれついているわたしたちは 自分を矯正しようと望むなら 自然の助けをかりることができる。
(第二巻 第十三章)

怒りについて 他二篇 (岩波文庫)

怒りについて 他二篇 (岩波文庫)

この教育論が 方策や制度としてではなく 方法や考え方として 経験実践的であることを主張していると わたしたちは見てきたわけである。どういうふうに実践的であるかは あらかじめ いくらかの論点として 次のように例示して考えておくことができる。
実践の第一:自然の教育を最先行する中軸にすえたこと自体。《自然人を知らなければならない》というのは すでに大きな実践である。これは いわゆる自然法( lex naturalis )の思想の系譜にある。自然人とは 《よき者として生まれついている》自然法主体だということであると考えられる。なんじ自身を知りなさいとか 自己到来・自己還帰のことだと捉えられる。これは 抽象的にして経験的であり たしかにわたしたちは この《単位となる数》から出発しないことには 出発できないと考えられるから。
実践の第二:いわゆる《子どもの発見》ということ。自然人の提唱に付随することがらであるとさえ 言ってよいかと思われるものだが 《かれら(大人)は子どものうちに大人をもとめ 大人になるまえに子どもがどういうものであるかを考えない》(序 p.18)と主張することは やはり大きな実践の一つである。これは 抽象的ではない経験過程――人間の具体的な成長過程――それじたいのやはり出発点が含むものを かえりみようとすることだから。自然人を知らなければならないというとき 自然人の代表とか代理とかとしてではないと思われるが そうではなくて 成長過程における出発点として 子どもの時代をすぎたこと(あるいは 今そうであること)は 小さいことがらではない。第一の実践たる基本形式(自然人たる自己への到来)は 少年時代を空白の期間として 成り立つものではないから。そして 子どもは子どもとして この第一の実践をおこなうものと考えられる。
ただし この点つまり 子どもであることを 人間の教育の一つの出発点とするのは 人間の教育一般が 自然法主体という基本的な出発点をもつことの 単なる例示とか代理とかであるかも知れない。子どものままでいろ つまり 精神および身体の発育の時代に人はとどまれと言うのではないと考えられるとき。子どもは 大人になるための存在ではなく 子どもであるとみるのは 人間が社会人になるための存在ではなく どこまでも人間であるということの 少なくとも同種の概念・観点である。
第三:第一点と関連することだが 自然の教育と人間の教育とを 基本的な一面で 区別したこと 言いかえると――この一面としては―― 自然人と社会人とを区別し あたかもそれらのあいだの中途半端な存在形態は ないか それとも一般に これを人間が望まないと規定したこと。このことによって ルウソなりの実践の形式が きまってくるであろうから。すなわちその形式では じっさい第一点と関連するのであるが やはりどこまでも 自然の教育に人間の教育がのっとっているということを 大前提としたことが それである。
ただそれでも 第三の実践としてこれを挙げることのわけは 社会的にも 事物の自然を 重視するようになっているその点にある。事物の自然を社会的に重視するというのは 極端には 人の手を加えない自然界のなかで人が暮らすということだが ルウソが言うのは そういう未開社会の人として生きることではないから しかも それを開発しながらの自然界をつうじてのみ人びとが社会を(あるいは人間関係を)形成していくというかのごとき その実践のあり方。
早く言えば 農業を基軸として人びとが社会を形成するという生き方の中に 人間の教育があり そういう社会形成と人間の教育とが一体であることによってのみ 自然の教育にもとづくことができるという一つの形式である。
これを言いかえると もし ここまではルウソは言っていないとしたなら つまり 社会の歴史的に経済であるとか文明(秩序関係)であるとかの面での発展をそういうふうに後退させるような点までは言っていないとしたなら この第三点は 第二点とこんどは関連してきて この教育論の全体が 子どもの青年に達するまでの成長を見守り教育し そうしてかれを社会に送り出すというそういった意味と範囲での教育にとどまるかのごとき一つの形式である。
《わたしたちの生徒のうちに 抽象的な人間 人生のあらゆる事件にさらされた人間を 考察しなければならない》(p.32)という一般化した見方(第二章)が 生徒である段階の子どもの教育に 限定されることになるかも知れないという一形式である。いいかえると 自然人と社会人との 前者にのっとった調和という目標を追求する教育が 大人として社会人である人間にいたる前の段階に 限定されたという一形式である。
これは 第一点の基本的な実践にもとづいて このような子どもへの教育だけでも けっして準備段階などというものにとどまるのではなく むしろその全体だといえるようである。なぜなら 大人となったあとの段階では その人が 社会人(社会制度人)となるかどうか そうしてさらにどう自己教育していくかは むしろ もう知ったことではないと言えるのかも知れない というのは もうすでに すべてが教育されているのであるから。成人した青年エミルは そういうふうに描かれている。
第三点は 社会観あるいは歴史観とかかわりをもっているが その点を措くとすると ルウソの教育の実践――制度方式ではなく かつ あくまで経験行為としての――は 以上の三つの形式とそれら相互の関連に 特徴があるように思われる。第一点の基本形式が 第二点の子どもの教育という場を特定し設定することを介して 具体的な一つの焦点として・だから その限りで第三の実践形式として さらにどういうふうであるか これが問題であるように考えられる。

こういうたぐいまれな人間(=自然人)をつくりあげるにはなにをしなければならないか。たしかに 多くのことを。それはなにごともなされないように用心することだ。〔風に逆らって進むだけのことなら 針路を変えつつ進めばいい。しかし 海が荒れているのに そこにとどまっていようとするときには 碇をおろさなければならない。若き水先案内者よ 気をつけるのだ 綱がほどけたり 碇がひきずられたり しないように。そして 船が知らないうちに岸を離れないように気をつけるのだ。〕
エミール〈上〉 (岩波文庫) p.30)

これは 準備段階がすでに教育のすべてであるという前提に立ったばあいでも はなはだ抽象的な表現だから 邪推することになるかも知れないが きわめて保守的な・なにか一定のものをただ一方的に守ることしか知らないような一つの実践形式であるように思われる。
一方では 《人間はなにひとつ自然がつくったままにしておかない》のだから その人間の手にうつって調教しねじまげ悪くすることでも もっと悪くはならないようにおこなわれなければならず これをふんばり守ることかとも考えられるが やはりそうではなく 他方の観点から 《自然人をつくりあげる( former )》――または《人間をつくる技術〔は忘れられている〕》――と明らかに言っているのであるから きわめて積極的な実践であり その形式を言おうとしたものだと捉えなければならないだろう。
そうすると それは やはり抽象的に基本的な第一の形式とつながったものであり 同時に 上のように表現されてくる言わば第三の形式が――邪推するとすれば―― あらたに提出されているようにも思われる。
仮りに立てた第三の形式 これは それとしてみると 第一の基本形式と 矛盾するか あるいは それとのつながりが あいまいであるかだ。よき者として生まれついている人間も すでに 社会人となっており その意味で――生まれたばかりの赤ん坊さえも――悪くなっていて 《船は 故意にか知らないうちにか すでに岸を離れてもいる》。それとも 《若き水先案内者》や子どもたちは 一般にまだ まったき自然人であるというのだろうか。

大きな道路から遠ざかって 生まれたばかりの若木を人々の意見の攻撃からまもることをこころえた やさしく 先見の明ある母よ わたしはあなたにうったえる。若い植物が枯れないように それを育て 水をそそぎなさい。・・・あなたの子どもの魂のまわりに はやく垣根をめぐらしなさい。
(pp.23−24)

これも 単なる表現の問題だと考えられるから 邪推の部類であるが これと関連して

こんにちのような状態にあっては 生まれたときから他の人々のなかにほうりだされている人間は だれよりもゆがんだ人間になるだろう。
(同上)

というのは やはりきわめて消極的な第三の形式をしめすかたちである。孤児のようになって《他の人々のなかにほうりだされ》たルウソ自身も ゆがんだおこないをなすようになっても このような教育論をあらわすようになったわけである。昔には そういう人間が ゆがんだ人間にならなかったのだとしたなら この《こんにちのような状態》にはならなかったことであろう。
《子どもの魂のまわりに 垣根をめぐらす》ことは たしかに 自然人が《社会人たる人々の意見の攻撃》を受けるようなことは《なにごともなされないように用心すること》であって つまり その限りでの人間の手にうつった・しかも自然の目標に沿う教育行為であるかも知れないのだが だとしたら・だとしても 人間の手にうつると すべてが悪くなる。いや ここまでくると もう ことばのあやにしかすぎなくなるのだけれど 問題は 第一の基本形式たる《自己到来》の実践と 仮りに第三の形式と名づけるような《子どもの魂のまわりに垣根をめぐらす》こととか 《なにごともなされないように用心する》こととかの実践との つながりぐあい如何に あるように思われる。
そしてそれが 生徒たる子ども(子どもたる生徒)への教育という第ニの形式をたしかに介しているであろうということ。《大人になって必要となるものは すべて教育によってあたえられる》(p.24)といった実践的な視点は 三つの形式とそれぞれ どのように関係しているであろうか。
焦点は こうである。第一に 基本形式は 子どもの段階での・その意味での準備形式に すべてが おさまり そこで終えられるものかどうか。第二に 同じく基本形式が――つまりは自然人が―― 人間の手にうつって悪くなっているその社会人による人間関係から 保護されなければならないといった言い方で 主張されることの内容とその是非。内容としては 極端にいえば《子どもは まったき自然人である》といった一つの前提が 暗黙のうちに からんでいるかも知れない。これの検討をとおして その表現形式 だから実践形式の 是非を問うことができるはずである。第三は この基本形式が ここでは教育論として 語られているのだから――あるいはこの《エミル》の範囲をこえるかたちで―― ルウソの社会観や歴史観と どう つながっていくかにある。
(つづく→2005-12-01 - caguirofie051201)

*1:THE eight tragedies and one praetexta attributed to Seneca are the only surviving specimens of Latin tragic drama. They were probably written by the philosopher of that name, who was born in Cordova, Spain, in the third year of our era. He was a brilliant youth, studying law and the Greek poets. Early in life he attached himself to the Stoics, later to the Pythagoreans. His remarkable oratory in the Roman courts of law awakened the jealousy of the Emperor Caligula, who hinted that the philosopher-orator would be in better health away from Rome. Consequently Seneca went into exile from which he was recalled, after the death of Caligula, by Agrippina, who placed him as tutor to her son Nero, the heir apparent. In this post of advantage Seneca gained fame and wealth. For five years or so during the early days of Nero's reign, the power of Seneca, and his colleague Burrus, was second only to Nero himself.