caguirofie

哲学いろいろ

第一部 人間の誕生

もくじ→2005-06-20 - caguirofie050620

第七章 第三原則:いまが すくいの日であること

――いまが すくいの日である――
縄文人の生活の中から 《時間》もしくは《わたくし》が生起して 弥生人が四次元の世界を対象化するにいたった。弥生時代弥生人生活様式)の終わりにあたって あたらしい社会の開始にあたって  《時間の生起》が歴史知性として 結実した。言いかえると 縄文人の時代からのはじめの世界原理に復帰した。《モノ(コト)‐オホモノヌシ(ヒトコトヌシ)》なる世界原理は しっかりと対象化され その四次元の世界の中で 人びとは はじめの(第一の)人間よりも ゆたかになった。
たしかに 《わたし》が《時間(価値)(その剰余)》を増殖し この私的な時間の社会的諸関係は 《泥古》というように 旧来の慣習が人を支配する社会でもあるが 《意富多多》というように 歴史知性を人間のものとし モノとしての《大田田》を耕して ゆたかな《根子‐日子》連関なる存在へと到来し かれは 《ミコト》と呼ばれても不思議ではなかった。
言いかえると 歴史知性の同一にとどまる《オホタタネコ》と この歴史知性としての日子の能力を なお自分の時間の増殖に用いようとして《もっぱらアマガケル・スメラミコト》とは この世で 互いに錯綜しつつ 混同しあっている。そこで 《時間の生起》という同じ第一原則のなかに 《社会が動く》という原則の第二が 見出されずにはいない。これが オホタタネコ原点であり ミマキイリヒコ視点であった。

《表現じょうの問題》について弁明する。

わたしは ここでは カミの議論がかかわってくるときには 極力 表現じょうの問題として扱うという前提をみづからに課している。と同時に これが難しい場合に出会って来た。逸脱があったかと思う。人びとは どうか このこころを推し測って カミの論議じたいが入り込むときには 良心のために――すなわち むしろカミを信じない人たちの良心のために―― より注意深く 判読し対処してほしいとねがうものである。
また それだけではなく 当然のことでもあるが もしわたしが誤ったならば カミの子・意富多多泥古の原点 御真木入日子印恵命の視点 この歴史知性を闇に葬ることなく わたしの筆の及ばないところを嘆き さらにこれを指摘する労を取って欲しい。古事記もしくは世界原理は 皆のものなのであるから。

アマガケル・スーパー歴史知性 アマテラス予備軍

すなわち問題はすでに 方法(オホタタネコ原点)の行き詰まりにあるのではなく この腐食しうる人間の《泥古》性にあるのであって それは われわれの歴史知性が そのもっぱらの日子によって単独分立した幻想的なアマガケリ(だから《比古》化)に深くかかわるであろうから これが解明をめざさなければならない。歴史知性じたいの仮象的な仮面的な増殖とそのむさぼり これらによってますます日子の想像力を掻きたてられたいわゆるアマテラス予備軍としての社会的な動き これを明らかにすべしとの課題と受け取っている。
このような動きを われわれは 知らないわけではない。その策略でさえ われわれに未知のことがらであるとも思えない。勇気の問題であるだろうか。おそらく オホタタネコ原点にとどまった人びとは そのこころのゆがみを みづからのこころの中にも見出しているゆえであると考えられる。勇気がないわけのことではない。われわれは 縄文人の・肥大した弥生人の・膨れ上がった古墳時代人の・そしてスーパー歴史知性の国家人の その母斑をみづから身につけているゆえなのである。
意富多多泥古というとき この泥古は 旧くは縄文人からの前史の母斑を示すにすぎないというべきだが 同時に 《一たん歴史知性を確立したゆえに ふたたび原始心性に戻ってのように ただし日子の能力はこれを駆使しその日子=精神主義的にもっぱらアマガケリするスーパーアマテラス族のスーパー日子なる知性》と ともにあたかも入り組み合い混同しあうかにして生きている。
言いかえると 世界原理の自己還帰は すでに復活している。言いかえると 《いまが すくいの日であり オホモノヌシのカミによるめぐみの時である。》
死は悪であるゆえ 死後に あるいはどこか想像の世界において 生きた歴史知性が存在するのではない。あるいは  《社会が動く》と言っても 未来つまり時間の未到来のなかに これを問い求めるというものでは――ましてや 過去つまりこの意味でのわれわれの時間との非連続の世界に のがれるというわけのものでも――ない。すでに 生命の木は歴史的に出現したのを聞いたのだし あるいはこのコトの現実的な証言が同じく歴史的に経験されたことを聞くようであるし ゆえにわれわれは 科学のさかしらを超えてでも 謎において 世界原理にもとづいて生きなければならない。と表現する。いまが その時である。
すなわち 第三原則 いや はじめの原則のいまひとつの側面として オホタタネコ原点を いま生きよが 帰結されて持たれる。
ミマキイリヒコ視点において あるいはこれを先取った視点において 時間の私的な増殖としての意味で《古墳》の造成を推進するチカラと 自己の同一にとどまるがゆえにこの古墳の造成に従った人びとの自己推進力と これら全体が 社会であり資本であり愛であり いわばこの《鏡》をとおして謎において 愛すなわち資本の根源的な推進力を問い求めていかなければならない。
悪に対しては子供になるべきだが ものの考え方においては大人にならなければいけない*1。この歴史知性は 歴史をつらぬいて連続している。これの共同相続人となるということ これがわれわれの今の時間である。そうでなければ 先祖に対して申し訳けが立たない(!?)。
じっさい 古墳の造成への奔走が終われば 歴史知性の時代が待っていた。わづかに実際の歴史は 依然として 縄文人の《ひるめ》的呪術心性を 貶めつつ愛惜し これを踏み台として アマテラス宗教家がふたたび奔走する。とりあえず かれらを容れた社会全体の罪の共同自治として たとえば天武天皇による中央集権的な国家体制が これに続いた。各地の少なくとも有力者が オホタタネコ原点に立って これを欲しこれに走った。到達したところでは それまでのアマガケル日子の目指していた国家形態は残ったのである。この全体の中で 具体的には 中央集権国家ではありながらも 天武体制のもとで あらためて ミマキイリヒコ視点が求められていった。
柿本人麻呂が オホタタネコ歴史知性を継いだのである。《いま》が自己到来の日であるなら あるから 社会の科学の出発点も こういうふうに現われるとも考えなければならない。各地の共同体のいわば市長として それぞれ《ミマキイリヒコ》が立った段階と これらの共同体が 国家のもとに統合された段階とであり いづれの場合にも より実際的なあり方は 根子と泥古とが 入り日子とアマガケル比古とが その基体は同じ本性の歴史知性でありながら 互いに錯綜し入り組むということになる。ここで 自己到来する自己の連乗積は  《いまが すくいの日である》と表現する原則を持つであろう。
第一の原則 いな はじめの《オホモノヌシのカミの子である意富多多泥古なる歴史知性の誕生》という想定に変わりはなく 自己は自己に自己を掛け そこにさらに自己を掛け連乗積となってのように 自己表現しつつ このコト・すなわち コトの認識たるモノ(知識)をとおして 言いかえると 《鏡》をとおして 隠れた資本の推進力のハタラキを問い求めなければいけない。
これは 歴史知性の動態である。かれは 時間的存在として  《今》がすくいの日であるゆえに 動態する。動態というほどに したがって経験的に 矛盾しつつ(つまり謎において) この《いま》が 歴史知性の世界への復活であるのでなければならない。
どうか この《詭弁》を 増殖することにではなく そのあやまちを指摘することに意を用いて欲しいとおもう。《いまが すくいの日である》ことを言うと たちまち それは観念論だと ちょうど条件反射するように応対するのではなく まず出発点を問い求めているのだと理解してほしい。スーパー・アマテラス族のアマガケルマツリゴトは この条件反射屋を多く――その催眠術にものを言わせて――作り出した。はじめに時間的存在だと言っているのであるから  《いま》が観念停滞してしまうことはありえない。逆である。幻想的な自己の連乗積を作り出すかれらが いまの永遠に 奔走している。古事記が オホタタネコ物語を提出して言おうとしたことは ここに存在すると言おうとおもう。

観念の古墳

《ミマキイリ日子‐オホタタ根子》連関が――それは ひとりの人間の歴史知性において 成り立っているというほどに―― ひとつの社会として  《公民(社会的役割としての専従的な日子)‐市民》としての構造的なすがたを描き出し じっさい実践していたとするなら そこにすでに のちの国家また中央集権的な国家体制の計画は 秘められていた。そのアマガケリのすき間は 開けられていた。と同時に それは 社会の単なるひとつの形態を求め その共同自治の方式を模索していたと単純化してみておいても それほど 間違いではないだろう。
《根子‐日子》連関は 弥生時代の終末期=古墳時代の胎動期に すでに始まっていた。
いま ただ文献資料としてのみ古事記をとらえる限りで この記の著者は この弥生時代の終末期=新たな時代の胎動期――すなわちミマキイリヒコの直前の時代――の指導者の名前に 《根子日子》なる言葉を添えて与えている。根子と日子とが並べて含まれるかたちである。すなわち いわゆる《天皇》という表記のまま 記せば

  • 考霊天皇(第七代)=オホヤマト根子日子フトニ
  • 考元天皇(第八代)=オホヤマト根子日子クニクル
  • 開化天皇(第九代)=ワカヤマト根子日子オホビビ

である。開化オホビビの次の・言わばあたらしい市長が 崇神ミマキイリ日子イ二ヱノミコトである。ほかの《天皇》の名前には 日子だけまたは根子だけが あるか あるいは根子も日子もないかのいづれかである。上の三代の市長にのみ 《根子日子》の名辞が入っている。単純にこれによって 弥生人の歴史知性の開花の歴史を見てよいように思う。次のミマキイリヒコとオホタタネコの社会で 完全に確立したのである。
これら《根子日子》の三代の時代は いわゆる邪馬台国の女王である卑弥呼(←メのミコト)の歴史のあとに その歴史のいわゆる弁証法的な止揚として 生起したと考えて 不合理ではないであろう。卑弥呼のばあい まだ 縄文人ヒルメと 弥生人のミコトとが 完全に止揚されずに 同居していたのではなかろうか。
《根子日子》と名のって 同じ一人の人の内に 《根子‐日子》の連関を見ている自己認識のほうが ミマキイリ日子とオホタタ根子のときの歴史知性よりも なぜ旧いと言えるのか。後者では 大きく一般に市民が《オホタタネコ》であって この中からすでに市長ミマキイリヒコを出しうるという基盤が整ったものと考えたい。前者の《根子日子》三代のばあいは この自己認識のいわば理念が 先頭に立ったのである。ゆえに 準備段階であったと考えられる。

  • この新たな理念を――理念として――立たせたのは 卑弥呼の時代(社会)をおそらく武力的に破った人びと(葛城の人か?)であろう。
  • ここでは 権力の確立に際して 武力あるいは枝葉末節の策略を用いて成功させた場合は 取り上げていない。物理的なチカラに頼ったあとでも 歴史知性のあり方として 社会が秩序を保ちうるという場合を 扱っている。

時代は降って――上に見た時代は言うまでもなく 三世紀の後半がその焦点になっており 時代ははるかに降って 七世紀に――古墳時代の終焉に際して 天武天皇の前の時代には その天皇名にみな《あめ(天)》の語がつけられている。これは ミコトに対して その中からさらにスメラミコトが名のられたこととともに ヒコノミコトが アマテラスオホミカミすなわちカミの地点へ アマガケリしたことを物語るが むしろ 女帝の存在が暗示するように 卑弥呼に代表されるような縄文人の呪術心性の残像に対して 根子つまり人間の権威をもって対処しようとしたことを表わしている。
人間(根子もしくは日子)を 《あめ(天)》なるカミとして 表象しようとしたことをあらわしている。ミマキイリヒコ / オホタタネコの直前の段階で ひとりの人間が《根子日子》と表象された理念と対照的に この古墳時代の終末期では 《アメ日子・アメ日女》もしくは アマテラスオホミカミという理念が 生起したのであろう。後者は 人間の日子の能力によって もっぱら善悪の木に拠って 天使の存在を欲するのではなく天使の能力を欲してのように アマガケリゆこうとする幻想の宗教マツリゴトであると すでに考えた。スーパー歴史知性は 自分の日子の能力の光を頼み これを生命の木(オホモノヌシ)の光に取って代えようとするほどの勢いであった。
女帝の存在がいけないというのではなく 女帝を立てなければ――卑弥呼の場合のように 女帝を立てなければ―― あの歴史知性を継承できないと閉じこもって考えたことに問題がある。
それはあたかも モノの第三角価値を古墳にきづいて表わすそれへと奔走するというように 日子(精神)の権威を 日子の能力によってのみ アマガケリしつつ(理念としては これをおこないうる) いわば名前の中に《古墳》として――そのようなひとつの権威として――造成しようとしていったことを表わすと捉えられる。縄文人ヒルメと弥生人のミコトとの同居に帰ってしまったことにほかならないではないか。《アメ》が 名前の中の 観念の古墳(新墳?)なのである。
もちろん 完全に 《根子日子》以前の卑弥呼の時代に戻ったのではなく 同時に《アメ》なる観念の古墳の代わりに と言うか そのしるしに もっぱらの日子らの《善悪の木》の規範――やがて 律令――が 敢然と立っていると錯視して 幻想のなかに 誇りと権威を持たせたとして 考えたのであろう。つまり オホタタネコ原点の歴史知性を かれらは すでに一度は 通過してきている。そこでなおも天使の能力を欲してのようにアマガケリゆく人びとの社会と時代が それなのである。
このような国家的な宗教の古墳――新墳――つまり 《アマテラス》概念としての《古墳》制度は そのような善悪の木による造成への動きは 聖徳太子天智天皇および藤原鎌足らの社会科学によって進められたのである。のちに この聖徳太子天智天皇の時代に至る過程・そこに展開された歴史知性の肥大なるアマガケリの動きを見たいと考える。ミマキイリヒコの時代からとして直接は 四世紀から六世紀の始めまでの約二百年間である。
また これは ミマキイリヒコ社会の外からであるにせよ内からであるにせよ 征服(征服ようのもの)による国家形成への膨張であるはずである。繰り返せば もっぱらの日子の能力において 天使の能力をもっぱら欲し求めた結果であると考える。これが アマテラスオホミカミ宗教(マツリゴト)の発生へとつらなった。あの巨大古墳をそのデモンストレーションとして築き上げた当時としては河内の一勢力だと推測される。この動きに 天武体制が 一たん終止符を打とうとした。
しかし これらすべて この歴史的経過が いま われわれの中に生起したのである。 《時間の生起》《時間への勝利》 これが  《いま 生起している》ことが 第三原則なのである。
(つづく)

*1:悪事については幼子となり 物の判断については大人になってください。コリント人への第一の手紙 (聖書の使信 私訳・注釈・説教)14:20