caguirofie

哲学いろいろ

第一部 人間の誕生

もくじ→2005-06-20 - caguirofie050620

第四章 《オホタタ根子》と《ミマキイリ日子》との社会

――社会を知る すなわち 復活した自己をつくり変える――
オホタタネコの社会は ミマキイリヒコイニヱ(崇神天皇)の時代である。すなわち 復活したオホタタネコたる市民の総意によって ミマキイリヒコイニヱノミコト(御真木入日子印恵命)を指導者として立て ミマキイリヒコも これに応えたのである。と伝えられている。キリスト紀元四世紀の初めの出来事である。(ないし三世紀の終わりごろという。)

《モノの木‐智恵の木(=御真木)‐生命の木》という御真木入日子の位置づけ

オホタタネコを 意富多多泥古(古事記の表記)・大田田根子日本書紀の表記)と書くと 人間の自己認識として一般的な概念と捉え得るように ミマキイリヒコを 御真木入日子と書くと オホタタネコに対応するそれとなるようである。《モノの木 / 善悪を知る木 / 生命の木》の世界の中で モノから成り立ち 生命の木を分有して 知恵の木の主体であるという中間的・時間的な存在としての人間 これを 《御真木》として表わした。

  • もちろん漢字表記は ずっと後のことであると思われる。概念・思想の連続性・発展的な継承性を見てよいであろう。

人間=オホタタネコとしての《御真木》は 言いかえると 《コト / ミコト(命) / ヒトコトヌシ》の世界で そのように位置するという認識に対応している。認識の能力(精神)は 特には天使に比べられるべき《日子》だというのである。
これが 《イリ‐日子》だというのは 縄文人の自然呪術的な《ヨリ(憑)》の歴史知性を 弥生人が時間・わたくしの発見とその展開をとおして 耕して来たものを 《イリ(入)》の歴史知性として確立したものと考えられる。生命の木およびこれとあたかも未分化なモノの木への《ヨリ》ではなく かと言って 自己の善悪の木に寄り頼んで 自己(人間)中心的に天使のようにアマガケル歴史知性――これによって むさぼりが それとなく 促され 進む――でもなく 生命の木〔とモノの木と智恵の木と〕の世界に しかるべきように 《入リ》する歴史主体だというのである。《御真木》《入日子》《命》というのは 《オホタタネコ》原点たる概念を より詳しく明らかにしたものなのである。
《印恵(イニヱ)》というのは 歴史的に唯だひとりのその人を指して言っており 個体たる《印恵》と 一般概念たる《御真木入日子命》とが あいまって ひとりの充全な歴史的社会主体だということができる。《イニヱ》も一般概念として捉えようと思えば 《しるしのめぐみ》すなわち《知恵の木の主体たる恵みの印》だというのであろう。恵みであり印であると説くのは 自己が中間的存在ではあるが この中間性が世界の中心ではないということ ただし《日子》の能力・その恵みゆえに 宇宙の中心的存在たる《しるし(象徴・謎・また似像)》だというのであろう。しかも《印》にすぎないということも重要である。
日本書紀では 《御間城入彦五十瓊殖尊》と書かれている。こじつけて考えれば オホタタネコと御真木入日子印恵命の《城》の《間》に《入》った男(《彦》)で その新しい別様の考え方(歴史知性のウタ)によって 多くの有能な指導者(《五十瓊(いに)》を生んだ(《殖》)人物ということであろう。
オホタタネコを 意富多多泥古に対して 大田田根子と書くときには 前者の歴史知性を価値自由的に示す概念であるだろう。意富多多泥古は 御真木入日子印恵命と相即的である。御間城入彦五十瓊殖尊に対して 大田田根子というときには 御真木入日子印恵命のあと再び自己(善悪の木)中心的に社会の指導者として立った前者に対して 後者はその支配下におかれた一般市民という意味にとって まちがいないように思われる。御間城入彦五十瓊殖尊という文字表記には ミマキイリヒコの政権をのちに乗っ取っていく応神ホムダワケの政権の印象がある。詳しいことは 追って考察していくであろう。
御真木入日子印恵命は オホタタネコ原点に対応する。御間城入彦五十瓊殖尊はそうであるとともに そこからの転化をも示唆する感じがある。原点のほうは 国家形成の以前の時代である。

《オホタタ根子(市民)‐ミマキイリ日子(公民)》連関からなる社会

そこで 本論の第一の主題は オホタタネコ原点にもとづくミマキイリヒコの社会の成り立ちということにあると考えられる。ひとりの人間(オホタタネコ)が 《根子‐日子》連関であったなら 社会も あたかも《オホタタ根子(市民)‐ミマキイリ日子(公民)》の連関から成るというのが その骨格である。
繰り返すと 《根子(身体)‐日子(精神)》連関をひとりの人として内に持つそれぞれ市民が 社会の指導的な役割として・その意味で専従的な《日子》として ミマキイリヒコイニヱノミコトを立てて支えたのである。ミマキイリヒコ自身も ひとりのオホタタネコであったことに変わりはない。
こうして オホタタ根子の歴史的な出現は かれとミマキイリ日子とが成り立たせる社会とつながっているのでなくてはならない。社会のあり方をひとつの形態として 理想化したりするわけではないが これまでに見たわれわれの原点はこれを 社会としての原点と見るか もしくはそう見る方向を過程させていなければならないでろう。

  • 《社会として》というときには 原点といえども その形態が 可変的であると付け加えておかねばならない。可変的というのは この原点の形態も つねに変化しているとか また変化すべきだということではない。
《もっぱらの日子》のアマガケリさらにアマアガリ

ふたたび自己への到来というコトを振り返りつつ 議論をすすめたい。

  • さらになお この自己到来は 到来を持続させ 自己が滞留して生きつつも 時間的・過程的であったのだから 到来はむしろ動態的な出発点であって その後の・自己をつくり変えるという道を わざわざ こと立てなくとも 実践している。つまりこれは 社会的なコトガラである。
  • 前章の後半の余論のなかで 《資本》ということ すなわち資本の関係・過程・またその形成の推進力ということを言ったが コトガラの《から》が 《族》つまり《関係》というほどの意である。家柄・輩(宅カラ・友ガラ)・国柄・力(血カラ)・し(為)なガラ・だカラ(故)・東京カラ大阪へなどの《から》である。為なガラの《な》は 連体助詞《の》。つまり そういう社会的諸関係。
  • したがって オホタタネコ原点にもとづくミマキイリヒコの社会の成り立ちというとき 当然のごとく 社会的な資本をテーマにするというのと同じである。かれらは オホモノヌシ=生命の木を想定してこれを表現じょう用いていたから これつまり資本の推進力についても あたう限り 言及していこうというのが いまひとつの趣旨となる。
  • 言及という語は好きでないのに使ってしまった。

さて 《モノの木(或る意味で根子)‐善悪を知る木(或る意味で日子)‐生命の木(オホモノヌシ)》の連関者としての市民オホタタネコは 当然のごとく 社会のなかに生きる。また これら三者の《もの》が《こと》であったからには 《コト(行動・現象)‐コト(言葉・認識・想像・判断行為)‐ヒトコトヌシ(原理)》の連関に等しい。そうして 《もの》の諸関係としての社会は そのまま 《こと》の諸過程として 時間的・経験的・歴史的である。ここで 《根子‐日子》連関者は 《みこと(美言・命・尊)》なる存在である。一般的にオホタタネコ概念で捉えられた《人》が それぞれミコトであり 殊に社会的な職務に関係づけられて ミマキイリ日子イニヱノ命というふうに名づけられるものと考えられる。《コト(社会行為)‐ミコト(人間)‐ヒトコトヌシ(かみ)》なる関係世界。
理性的動物であった人間が 社会的動物であるというのは すべての人間が《みこと》であり かれは《根子‐日子》連関者であり その根子が・あるいは日子が カミではないゆえ 社会的な役割としての根子あるいはつまり日子の過程的な秩序 動態的な位置づけをめぐってでなくてはならない。その主体的な行為の関係という問題となるはずである。
日子(精神)が 単独分立し 精神のみでひとり自己中心的に《みこと》となり 結果 ひとりの根子が《もっぱらの日子》となるとき 善悪の木への一辺倒とその専制が敷かれると考えられた。日子(精神)は 天使のようにアマガケルことをなしうるゆえ 根子(狭義に身体。ほんとうには ミコトの全体なる存在である)に対して 優れていると考える。したがって このとき 根子は ただ劣っていると見なされる情況が 生命の木から離れたモノの木の私的な所有の問題である。
このアマガケル膨れ上がりが 人間の《わたくし》なる時間である。主体が 《わたし》なる一時間的存在であること これは 第一の人間の原罪ののちは それが 第ニの人間の出現によって 揚げて棄てられつつ いわゆる人間の本質(存在)であった。したがって問題は ミコトなる《わたし》が その中間性を中心性に代えて しかも同じ中間性によって 単独分立するかれのアマガケリにある。
ここで《わたくし》となるなら モノ・土地・さらには人びとをも所有するところの《もっぱらの日子》であるのに――生命の木の観点から見るとそうであり また それだけであるのに―― 善悪の木にもとづいて オキテ・律法を持つと これによって すぐれて社会公共的な《おほやけ(大宅家)》だと錯視されてゆく。つまり 《モノ(コト)‐モノの認識(コトガラ)‐オホモノヌシ(ヒトコトヌシ)》の世界連関が その順序を錯視して 内部で転倒しうる。私的所有者たる《もっぱらの日子》は ふつうの根子(市民)に対して 善悪を知る木の法制化とともに(――つまりいまは 武力による物理的な力の支配ということを措いて考えているのだが――) 優位な位置に立とうと欲し 社会を自己のもとに支配する一つの体制としようということにもなる。
ここからは 《むさぼるな》と言いつつ 自分はむさぼり 合法的な《盗み》を 法律(律令)のもとに敢行したかもしれぬ。この《もっぱらのアマガケル日子》の動きは 慣性の法則にのっとってのように 力がはたらかないとそのまま 同じ速さで――つまり固定されて―― 動きすすむ。オホタタネコ原点に立つミマキイリヒコの社会の成り立ちは このような弥生人の社会の展開としての歴史的な経緯に対処しようとすることから始まったものと考えられる。

  • ちなみに 《保守》というのは このように一定の速度であたかも善悪の木によってアマガケリするもっぱらの日子らの運動に 均衡の力を与えるのであろう。
  • 新しい動きに対して 復古的な力を与えて 安定した動きを保とうとしたり あるいは 新しい力に妥協して それを言われているように上からこの運動の中に取り入れて 速度を加減しつつ 全体を保とうとするのであろう。
  • このとき いわゆる反体制の運動(その一辺倒)は 後者の動きに関与しているか それとも 前者の動きとのバランスをとることに――つまり保守的に――与っているかのどちらかであろう。

《根子‐日子》連関者たるふつうの歴史知性に立ったミマキイリヒコの社会は このような事情のもとに・このような事情のなかから 資本形成の推進力に促されて 言ってみれば中道を示しつつ 成立したものと考えられる。
ふつうの歴史知性の根子たちばかりが集まって いわば純粋培養の社会を形成したというのではない。過程的に 資本形成の推進力を 自己の内に・社会的に 問おうという社会を確立していったのである。これは オホタタネコ原点だと考えられた。謙虚にも 《オホタタ泥古》だとも 後世から表現された。(やっかみ・中傷であるかもしれぬ。)オホモノヌシのカミの子だといううわさが立ったことだけで そこには生命の木のもとに位置づける原点の思想があったと――だから これは 歴史として動態として――信じられた。
ここからは たしかに社会科学を模索していかなければならない。
じっさい むさぼり=搾取=exploitaiton=開発・乱開発あるいは富国強兵なり高度経済成長策がなかったら 世界はここまで進まなかった。そして あの《アマガケルもっぱらの日子=すでにここでは 善悪を使い分ける偽りの精神=誤れる律法主義》が 《むさぼるな》と言わなかったなら われわれは むさぼりを知らなかった。

  • オホタタネコの日子の能力も 《むさぼるな》を観想し理論として持ったであろうが これを内的に持つことと 外的におしえることとは 別であると言えるといってのように。

《和を以って貴しとなせ》と言われなかったら 《和を乱す》ことを知らなかった。これは 《善悪を知る木》への一辺倒とそれによるアマガケリが 裏側の泥古の部分とともに もたらしたコトに属している。したがって 《生命の木》による社会科学 つまり オホモノヌシすなわちヒトコトヌシを殊更 顕揚しなくとも ふつうの根子つまり 根子‐日子連関者たるミコトにとっての社会の科学を あらためてわれわれは尋究していかなければならない。この問い求めの場・その共同自治の方式については ミマキイリヒコの社会が 弥生時代のもっぱらの日子らによるアマガケリ(たとえば豪族の発生)の基本的な解釈の完成として および 次につづく古墳時代の古墳造成による今度はアマアガリ(豪族連合またその統一による支配体制の実現)の同じく基本的な解放の原点として 模索していったコトガラであるということが出来よう。

  • 崇神ミマキイリヒコにも 古墳があるではないかと言うなかれ。
  • もっぱらの日子のアマガケリによる支配体制としての高度経済成長論(そのような古墳造成・すなわち後期の巨大古墳など)が 問題なのである。
  • ただし いづれの場合でも 資本形成の推進力は 個体の内に・したがって社会的に はたらくと見る立ち場が――つまり 人間の原点のことでもあるが―― 忘れられてはならないし この立ち場を ミマキイリヒコの社会は 模索しまた歴史的に実現していったと あらかじめながら見ようとしている。
  • 《モノの木》についての科学つまり自然科学は そのものとして これらから自由に行なわれる。もっぱらの日子らの社会科学によるむさぼりのために奉仕しようとするとき特に 自然科学者も社会人として また当然のごとく根子‐日子連関者としてつねに 社会科学に直接 関係している。
  • 古代人らも 時間=価値 の剰余を 古墳しかも高度成長論にもとづくような巨大古墳の造成に――つまり そこには当然 自然科学の知識と技術が関与している その作業に―― 費やしている。むさぼりの社会科学は 自然科学によって発達した生産の力にもとづいて 生産されたモノの その前後の過程における・だから全体の過程における所有にかんして 《盗み》を合法化しようとする。各自の自由な時間を 《搾り取る》のであろう。ここでは 自然科学は 直接かんけいする。
  • こんなことを言ったのでは 人間は生きていけないではないか。そうなのだ。古い人間は生きていけないのである。
  • しかし それに対する新しい人間のあり方を ミマキイリヒコの社会は 少なくともその問い求めの場を見出してのように 模索していったのである。

ミマキイリヒコイニヱノミコトと オホタタネコの社会の 信仰のそして科学の原点は だからいまの課題についての解答は 次のようであった。井戸端会議としてでも その模索のなかに見出した共同主観である。
ちなみに 前もって言っておかなければならないこととして この時代にはまだ いわゆる国家は出来上がっていない。ミマキイリヒコも 崇神天皇》ではなかった。また 崇神という漢風諡号も もちろん後世(古事記成立ののち)のものである。つまり 国家がつくられてから 過去にさかのぼって そう命名された。つまり 《国家》の成立によって 《むさぼり》の科学と《盗み》の合法化が出来上がることによってである。つまり むさぼりを禁じられ 搾り取られる《根子(市民)》が 《すさのをのみこと(須佐之男命)》として名づけられ位置づけられ 《日子》が もっぱらの日子と――制度的にも――なり 《あまてらすおほみかみ(天照大御神)》(その子孫)であると すでに(=まったくの)錯乱をもって 唱えられてからである。

  • 善悪を知る木の規範がはたらいているとすれば この錯乱も人間のものであり 人間的な――つまり大きくはオホタタネコ原点に立っての――ことである。
  • だが オホタタネコ原点の人間オホタタネコの一人またその後裔が カミであると唱えられたのである。アキツミカミ(現つ御神。ツは連体助詞)あるいはアラヒトガミ(現人神)と言う。
  • もしキリスト・イエスの如く 神であり人であると唱える場合には そのように明確に全世界に伝えなければならない。

つまり このような後の国家の段階では オホタタ根子が スサノヲのミコトであり ミマキイリ日子イニヱノミコトが アマテラスオホミ神であると 錯視的に――再び繰り返すなら 錯視的に――幻想されたのである。

  • 現代では われわれはこの過去から解放されている。

人は あの善悪を知る木 人間の日子 中間的な精神 によって 狂気じみて神がかりとなり〔自己をそのまま生命の木であると錯覚し そう思い込んだ精神が あの慣性的にのみ動く人工衛星のように アマガケリしつつ(人工衛星は その軌道を動く時 ただ落ちるだけである。しかも天にある)〕 モノの再生産とコトの認識において 膨れ上がった。つまりちなみに これは いわゆる肉体の罪への欲望によってではなく 誤れる偽りの精神によってすべて起こったのである。肉体(根子)そのものに罪があるのではない。
また ミマキイリヒコイニヱノミコトとオホタタネコの社会原理は 《スサノヲノミコト》という命名のなかに このときも 保持された。イニヱノミコト(個体)が ミマキイリヒコ(一般概念)として立ったその《日子》への一面的な錯視的な過信――によって もっぱらの日子らのアマガケリは出現したのであるから その過信――に対して そのような錯乱に対して そのようなアマテラスオホミカミ論者(いまは これからわれわれは 解放されている)を――その人間たる存在じたいは―― すべからく(須)たすける(佐)べし=愛すべしというのが この世界原理でありその実践であったから。
つまり意富多多泥古は 国家段階では この須佐之男命とよばれたのである。

  • 古事記の記述の順序を逆にしてでも そう考えられる。

つまり 須佐之男命とは ふつうの根子のふつうの歴史知性であって 意富多多泥古と同一である。

  • 日本書紀では スサノヲノミコトを このような歴史知性の素朴な叫びというような意味を含ませてのように 素盞嗚尊と書いている。

言うまでもなく 現在では 国家という社会形態の段階にあるが 天皇――アマテラスオホミカミの子孫であると言われる場合がある――は カミではなく ミコト・人間であるというのが 社会原理の一内容である。昭和天皇自身のことばであるとも言われる。
もうひとつ ちなみに 根子・日子の以前の時代には 男が《き》 女が《み(め)》と呼ばれていた。このとき 同時に その人間の精神に着目してすでに 《ひるこ(日る子)・ひるめ(日る女→日女・姫)》と名づけられていた。のちに アマテラスオホミカミが オホヒルメ(大日女)であると唱えられたようにである。
この場合は まだ いわゆる呪術的な生活原理のうちにあり 《モノの木(自然)》と《生命の木(原理)》とが 同じモノとされていたであろう。《生命の木》を知らなかったのではなく ただ そこに在る《木》に ヨリついて 世界・時間・社会・自己を表象していたのであろう。ミマキ《イリ》ヒコは 生命の木を 確かに原理として霊的な存在と知り その国――あたかも国――に入る(その原理の光によって照らされる)ことを欲し 人間としては 主体的・独立的に生きたのである。
大田田根子たる意富多多泥古》が――その漢字表記はもちろん後世のものであるが―― その同じ内容を示したと考えられる。天照大御神は 言ってみれば 根子また日子をあまねく照らす真理の光という内容を持つものとして 生命の木をただ言いかえたにすぎないかとも考えられる。唯だこのようなミマキイリヒコの社会原理・歴史知性のあり方を 別様に言いかえ 言いかえるだけではなく 《もっぱらのアマガケル入日子》の支配体制つまり国家のもとに 制度化してしまった。これは 自分たちが そして自分たちのみが 生命の木に神がかりすることによってである。言いかえると 《日る子・日る女》の縄文人的な呪術心性をふたたびカミにヨリついて 《復活》させるコトによってである。その手口は オホタタネコ原点にもとづくミマキイリヒコらの社会原理を そっくりそのまま しかも善悪の木のもとに 先取りしあたかも盗み これを共同自治の・じつは支配体制の原理としてのように 覆いかぶせることによる。
言いかえると 国家段階のアマテラスオホミカミの唱道者は むしろ善悪の木を頼みこれの中心性によって 遠い昔からのヒルコ・ヒルメの呪術宗教をまず批判し貶め――なぜなら かれらも すでに 《ヨリの呪術心性》の次の段階のイリヒコ歴史知性を通過した―― 隠れてはこのヒルコ・ヒルメの段階に戻ったのだと考えられる。そうであれば 資本関係の管理・経営が 共同自治が おこないやすいと踏んだのであろうか。イリヒコ歴史知性は 覆い・帽子にすぎないものとなった。ヒルコ(日る子)は このとき そのまま貶められていった。善悪の木の道徳・法律に依り頼むことは そのような精神主義は ほとんど モノの木を生命の木そのものを見なして これに寄り憑くことにひとしい。誤れる精神主義は 肉体を貶めつつ ほとんど肉体主義と同じである。つまり どちらもこの経験的な世界をすべてとし この中間的なモノ・コトの規範を むしろ至上のものとした。肉体を貶めることによって こころが燃え立ち からだはすでに冷えているという――あるいは その逆の――事態が 生起する。
これは むさぼるなという律法によって むさぼりを知り――むしろ 知り尽くし―― 上手に語って むさぼりを盗み これを善悪の木の法制化(また観念共同的なオキテ)のもとに合法化し この隠れた肉体・欲望によって促され 永遠に自分たちを拡大再回転させるようなものである。
このような錯乱が 悲惨へと導かれることは それじたい その人にとって有益であると考えられた。なぜなら この罰によって確かに あのはじめの世界原理が証明されたからでる。

  • カミの論議じたいを ここでも あえて差し挟むとするなら このように人は――つまり誰もが この国家段階に入ったのである。人は――悲惨となり 虚しくされることをとおして カミを見るのであろう。《根子または泥古》の謙虚によって そこで膝まづいたきみを いけにえにされ去っていったキリスト・イエスが今度は手を差し伸べ 起こしたまうであろう。
  • このコトを人は絶対に疑ってはならない。ミマキイリヒコ社会原理の考察に入る前に オホタタネコ歴史知性(それは動態)について カミの論議じたいとしては 以上のように表現することが出来よう。絶対というのも 表現じょうの問題であることを 人は知るべきである。

ミマキイリヒコとオホタタネコの社会の科学については 章をあらためて論じることにしたい。が われわれは ここで (1)《ひるこ・ひるめ》の縄文時代・その呪術宗教の段階と (2)《ねこ・ひこ・みこと》の弥生時代ないし古墳時代の初めにかけての人間の誕生の原点と また(3)《すさのをのみこと‐あまてらすおほみかみ(とくには ミマキイリヒコを通過した隠れたヒルメとしての新たなシャーマン)》の国家の段階・その観念共同の宗教(マツリゴト)*1と そして(4)国家的な宗教の形態が解体しつつある現代とを かんたんに たどったのである。

  • なお 《ひるこ・ひるめ》の《る》は 連体助詞《の》と同じである。そのもとは自発的な親愛の意を表わす添え言葉《rö(ろ・ら・る・れ)》だと思われる。ヒ(日)に対してヒ‐ル(昼) ヨ(夜)に対してヨ‐ル(夜)というごとく。ワ(我)に対して ワ‐レ / ワレ‐ラ(我れら)というがごとく。
  • 《かむろき(神の男)・かむろみ(神の女)》というときの《ろ》も 《る》と同じである。これらも ヒルコ・ヒルメの社会――つまり一般に縄文人の時代――の前歴史知性の段階での概念であろう。ミコトとヒトコトヌシとが混同された時代である。
  • ヒルコ・ヒルメというときには 後世から見れば 善悪の木ないし日子の能力に 注目している。《日》とは言っているのだから。これを 生命の木と見たからか カムロキ・カムロミとも言ったのであろう。
  • もっとも われわれは古事記に従って ミコトたるオホタタネコが カミの子だと見ている。しかも この原点の場合は オホタタネコなる人間一般が カミのハタラキを分有すると宣言したのである。これと カムロキ・カムロミとは わざと区別しようと思えば 次のようである。カムロキ・カムロミの場合は 人間の一部の者に対してのみ この名をつけたかも知れず また そのときには 特別待遇をおこなうかたちであったかも知れないということになる。一般論として 差別があってはならないであろう。人間の科学の問題である。(じゅうぶんお分かりのように このあたり推測で議論しているとことわっておかねばならない。)

《をろち(尾の霊)=蛇》というときも おなじようである。つまり――連体助詞《ろ》が同じだということとともに―― オホモノヌシは われわれが父なるヒトコトヌシのカミの聖霊だと類型的にとらえたオホモノヌシも じつは 雷神であったり またこの龍神ないし蛇神であったりする場合がある。蛇をナガモノ(長物)というようにである。これは 以前のヒルコ・ヒルメ / カムロキ・カムロミの段階からの宗教概念が なおそこに続けて投影されているのである。
だから 邪推すれば・そしてわざと思い入れしてものを言うとすれば ミマキイリヒコとオホタタネコの歴史的な社会(人間の誕生)で一たん解放されたものが ふたたびあの錯乱のアマテラスオホミカミ国家宗教の段階で 復活(?)させられ 人びとの歴史知性が そのように後退したのである。

  • 実際に後退したのではなく 後退したかたちで 表現しなければならなくなったのである。
  • 明治維新を開いて この歴史知性を回復したのち 国際関係の上からも 軍国主義に際して 国家宗教によって オホタタネコ原点とミマキイリヒコ社会原理(要するに民主主義である)が 後退した。

おそらく――いま ひじょうに荒削りの議論をしているが――まずは はじめの世界原理は いづれの段階を通じても 変わりはないとみておきたい。ミマキイリヒコの社会が これを示唆してあまりあると考える。あらかじめその宣伝のための導入としてのべたことになる。御真木入日子印恵命と意富多多泥古の社会の科学は 次章である。

(つづく)

*1:ミマキイリヒコの歴史知性を通過したあとの新たなシャーマンのもたらした呪術宗教:のちに見るように オキナガタラシヒメのおこなうヨセルを基体とした歴史知性を言う。始原的な《ヨリ》から 歴史知性の原点として《イリ》に到来したあと あたかも元に戻ってのように・しかもヨリではなく 《ヨセル》=ヒトを自分の思惟の形式のもとへ寄らせるという知性を編み出したようなのである。