■
霊障害で困っているのですが、一人暮らしなので困っています。人が付き沿ってくれると助かるんです。霊障害者を補助するしてくれるような、人材派遣サービスのようなものは無いでしょうか?30歳なので、老人介護サービスはちょっとですし。30歳へのこういう付き添いサービスでよいものは無いでしょうか?長期間になるかも知れないので、出来たら料金的に格安か、保険の利くサービス、若しくは無料のサービスをご紹介下さい。
- 内容は分かったが(だから必ずしも 新しいことではないようだが) 霊障害などという名前は 初めて聞いた。
- 異和の問題を キリスト史観2005-05-13 - caguirofie050513で扱った。
- 理性の作業を怠っているという原因を指摘する場合もある。推論の行為と自分の考えを形成してゆく仕事を 一般に日本人は怠っているという問題。→2004-11-24 - caguirofie041124(人格の未発達という言葉を使っている。)
- 精神障害にしても その原因として脳細胞内の物理化学的な実態があるというとき その身体の症状をもたらしたのは 精神の理性訓練が欠けたままであるという理由も考えられないものだろうか*1。学習や知識の積み重ねではなく それだけではなく 自分の考えを 人にわかるように述べる能力である。
- いくらか違った視点から――《勤勉の倫理など》:2005-03-28 - caguirofie050328
霊の声が聞こえて、霊障害になっています。霊の声が聞こえなくなるように、霊聴を閉じたいのですが、霊聴を閉じることが出来る信頼出来る霊能者さまをご紹介ください。この分野では実績があり・実力・信頼が非常に重要だと思っていますので、こういった信頼できる霊能者さまをご紹介ください。占い師・風水師は無しでお願いします。 以上、宜しくお願い申し上げます。
- この質問を 上の質問を考えたあと 知った。
- 霊聴であろうが 幻聴であろうが その内容を しっかり把握して 取捨選択することだ。取り上げたものについては やはりしっかり自分の考えをまとめなければいけない。それだけだ。
- それでも なお要らぬ声が聞こえたとするなら これも それだけのことだ。声のするにまかせておけばよろしい。必要ないことであれば いづれ消えてゆく。中味のあることであったとわかれば あらためて考え直せばよろしい。
- 気長に推し進めなさい。
- ほとんどは 関係の問題であるとも 捉えなければいけない。人と人との関係過程なのである。
- わだかまりがあったとするなら 直ちに和解におもむく。もはやこちらに 愛するという負債のほかは何もない*2となったと考えられる状態においてさえ 相手によっては わだかまりがあるという情況も 考慮に入れなければならない場合あり。慈善事業になる。
- 慈善事業は 労多くして報いが少ない仕事である。愛の能力の多い人であればあるほど この慈善事業を なにものかに課される場合が多い。
- 愛は すべてに耐えると言われる。わたしの考えでは ことごとく徹底して相手の思惟・内省=行為の形式を批判し尽くしつつ――だから これらの欠陥について 自分の中でも ことごとく棄て尽くしつつ―― すべてに耐えていかざるを得ない。
- こうも言う。
そのとき イエスはさらにこう言った。
天地の主である父よ あなたをほめたたえます。これらのことを知恵のある者や賢い者には隠して 素朴な人にお示しになりました。
そうです。父よ これはみこころにかなうことでした。
すべてのことは 父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく 子と 子が示そうと思う者のほかには 父を知る者はいません。
疲れている人や重荷を負っている人は だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしは心やさしく謙遜な者だから わたしの軛を負い わたしに学びなさい。そうすれば お前たちは休息が得られる。わたしの軛は負いやすく わたしの荷は軽いからである。(日本語対訳 ギリシア語新約聖書〈1〉 マタイによる福音書 11:25−30)
- かれの《軛は負いやすく 荷は軽》かったけれど 長くつづく愛の試練だとは分からなかった。それというのも
キリスト・イエスのものとなった人たちは 肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。
(ガラテア人への手紙 5:24)
このことが わたしには 実現していないからだと思われる。なるほど《狭き門より入れ》(マタイ7:13)だったわいと。
- ・・・・
*1:脳細胞内の物理化学的な障害:簡単に・ごく簡単に なだいなだ氏が 次のような指摘をしている。《病気を何でもホルモンで片付けようとする精神科医には 精神病が伝染するとは信じ難いだろう。/脳のホルモンは 結果出てくるものさ》‐《神 この人間的なもの》2002p.197
*2:《キリストを信じる者が隣人に愛の負債を負っているというのは 彼が 罪人に代わって十字架の血によって贖罪をはたしてくださったイエス・キリストに負債を負っているからである。隣人への愛と信仰とのかかわりがキリストとのかかわりから生まれる》と解説している。《アウグスティヌス著作集》25=アウグスティヌス著作集 (第25巻) ヨハネによる福音書講解説教3第57説教註(1)p.447茂泉照男・岡野昌雄訳註者