caguirofie

哲学いろいろ

あざむき とは。

もくじ・ヘイ!ポーラ→2005-02-06 - caguirofie050206および甘え&人間が変わる2005-03-13 - caguirofie050313
絶体絶命のときに 唯一の・もしくはこれだけは絶対不可欠として唯一の防御策を採った。これによると みづからを欺いた。同じように 人を欺いた。友をも 善意の・味方になってくれうる人びとをも ことごとく あざむいた。むろん そのことも 自己防衛の一環である。そうでなければ 失敗に終わる。

だから あやまりを しない。あやまる気持ちにならない。二河白道*1を越えてきたという思いには われら人としての助け合いが肝心だという思いがある。わたしには なんの援助もなかったということである。援助を求める隙もなかったということでもあるが。
みんなを敵にまわし みんなをあざむかなければ成功しなかったろう。
いま ここで不遜に振る舞わなければ 不遜な男になるであろう。
ただ あらそわれるところは ポーラを相い対する敵として わたしが その敵を退治しようとたたかう姿勢をとったのか それとも 友のために死ぬほどの愛はないというそれだったのかということであろう。両方である。(その意味で お釈迦さんとは 関係がない。信仰もちがう。)さらに明らかになるべきは 明らかにされてくるであろう。

  • 急転直下 あらたなどんでん返しがあったゆえ この日は 故意に冷酷の極のほうへ 表現を持っていった。出会いの もしくは 感情のからみの その初めのときから 百パーセント 百二十パーセント 接触を避け 二十年避けきったという事例がわたしにはあったから このポーラに対して そのような対処を知らなかったと言えない。絶体絶命の事態は 已むを得ない事情よりそうなったと考える。
  • ほかのところで えらそうに言ったり このように変に粋がって恰好をつけているのは むろん極論しているのである。
  • 三月二十日の覚え書き*2の内容を和らげようとして 変な極論を書いてしまっている。もし しかし このほうが 本音だとしたら どうだろう?いや それは ない。結果から すべての経歴を右へならえさせるかのように 極端に言い放ってしまっている。ただ 削除しないでおこうと思う。《さらに明らかになるべきことは 明らかになってくるであろう》は つづいて有効である。
  • この日の断章は 特に 《大団円――終焉》*3とつながっている。――060422追記