caguirofie

哲学いろいろ

人間が変わる。

もくじ→2005-03-13 - caguirofie050313

・・・無常というのは 二匹の鬼の争いにまきこまれた旅人が 手・足・胴・頭と順々にもぎとられ 誰のものともわからない死骸の手・足・胴・頭を入れ替えに与えられるようなことにほかならず そして 人間の《われ》などというものは本来つぎはぎだらけのもので それをはっきり認識するときに解脱もやってくるのだ という恐ろしく荒っぽい思想こそ 無常観の真の姿にほかならないのではないか――というのが いわば私の少年期につちかわれた無常観の観念であるらしかった。
大岡信《星客集 文学的断章》断章Ⅱ――大岡信著作集・第十四巻所収1978青土社

大岡信が書いている。高倉輝著《印度童話集》*1のうちの〈誰が鬼に食われたのか〉という話*2を承けて言っている。
アートマンに 実体などないという説でもある。よくわかる。ここから拡げて 次つぎと生まれ変わるといった思想には かんたんにそう言われると 抵抗があるが 《我れ》の変容ということにかんして よく分かる気がしている。この古い本を 本棚から引きつり出して来たのだが その昔も そういうふうな感覚で受け留めていたと思う。
と同時に いま思うのだが それ以上の付けたしをも 今では持っている。変容したあとにおいて わたしは やはり わたしであるということ。飛躍するけれども 永遠の現在に立っていると言っていいと思う。
その上で あるいは その前に 人間という現実は 変わるとわたしは思う。生物種として 細かくは その種が変異を起こすのではないかという これまた べらぼう話である。

*1:アルス《日本児童文庫》のなかの一冊であるらしい。大岡の《著作集》とともに はまぞうでは 出て来なかった。

*2:2005-03-18 - caguirofie050318