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哲学いろいろ

文体――第四十一章  眼(ま)ドルマン(下)

全体の目次→2004-12-17 - caguirofie041217
2005-02-21 - caguirofie050221よりのつづきです。)

第四十一章 眼(ま)ドルマン(下)

ε
Le silence s'ouvre
Dans une petite ville
Que l'argentin couvre.

私たちの住むK市は 古くからの城下町で 宿場町でもあり 渡し場のあった小さな港町でもありました。広い海の波を銀色に輝かせた朝日は やがて 街の軒並みを照らし出します。前夜の雪は止んで 町一面が銀世界です。新聞やら牛乳やら朝一番が 処どころに 動き始めました。
台所で朝の物音が聞かれました。釜に火をくべる母と その傍らで 早起きの祖母も 何かしら手伝っています。夜が明けて一番に聞く水の音は爽やかなものです。父は 朝刊を取りに そろそろ起きようかと欠伸をしたところです。私の眠る部屋にも 雨戸の隙間から漏れた 透きとおるような光線が射しかけて来ました。私は前の夜の竜神の夢も忘れてしまったのか また一日が始まるなと身体で感じていました。
・・・
Argentin(silver),argentin
Tout est argenté.
・・・
――冬ちゃん 雪よ きれいやねぇ。
雨戸を開け 私を抱いて縁側に連れて行って 母は 小さな庭に積もった雪を見せてくれました。前日の夕食の時に 窓越しに見た白い格子が この綿雪になったのかと私は驚いて見ていました。
――ほら 冬ちゃん 冷たいよう。
縁側から手を伸ばして 母は 雪を掴んで私の頬に少し当てました。私は 戸を開け放した時からの寒さも手伝って ぶるっと震えました。
――冷たいでしょう。
と微笑んで 母は 私を抱え直すと ガラス戸を閉め さあ おまんまと言いながら食堂へ連れて行きます。浜で獲れる蜆の味噌汁が 部屋中に強烈な匂いを放っていました。
父が出かけると 母は 掃除です。きちんと日課を済まさないと気がすまないというように 母は余念がありません。私は 再び 積み木に挑戦します。
la saison de ma flottaison
la flottaison de ma raison
la raison de mon oraison
l'oraison de ma porchaison
la porchaison de mon ouvraison
l'ouvraison de mon inclinaison
l'inclinaison de ma floraison
la floraison dans τωι χωι・・・
mes masions de comparaison
une liaison d'oraisons
par livraisons・・・
――御免!
と玄関の戸が開いて 低く通る男の声がしました。はあいと 母は 雑巾がけの手を休めて 声の方へ行きます。
――まあ 文治郎さん こんな雪の中を・・・さあ どうぞ。おばあさん!文治郎さんです!
祖母は呼ばれて 玄関に行き 挨拶を交わすと 文治郎さんと応対します。一たん下がった母は お茶を入れ 前日から用意してあったのか 飾り棚の引き出しから 何やら風呂敷包みを取り出して 玄関へ合流します。寒い中をと再び挨拶をすると 話が何やら始まりました。
《文治郎さん》は 黒いマントを脱いできちんと折り畳んだ上に 耳覆いのある黒い帽子を置いて きちんと正座しています。祖母とほぼ同年輩の老人でした。そういえば 前にも何度か この老人は 私の家を訪れたことがあるようです。薄い記憶を辿っていくと 月に一度決まって足を運んで来るようでした。
私の祖父は 今は亡き人でした。終戦のほんの一ヶ月前に亡くなっています。戦火の急を告げて来た頃は別としても ほとんど生涯を 遊び呆けて過ごした人で そのため死期が早かったのだと言う噂が立つほどでしたが それでも まさかこの人が〔根っからの遊び好きだなんて!〕と思わせるほど 性格は几帳面なものがあったのです。
死の床に就いても かのソクラテスではありませんが 誰それへの借金がこれだけあるから自分が死んでもきちんと返済しておくようにと 言い遺して逝ったそうです。もっとも その時は 実は祖父は町の金融業者つまり高利貸しをやっていたので 十分な財産を残してもいたのですが 彼の死の直後の空襲・戦災で 家は蔵から何から丸焼けになってしまいました。(この時 小さな町ながら K市はその八割が瓦解してしまいました。)
祖母は 有り金をはたいて 焼け残った今の家を贖い そこに住むようになりました。やがて終戦とともに 兵隊から父も帰り さらにやがて 父は今の私の母を妻に迎え そこに住んでいたのでした。
高利貸し業はそれっきりでした。そこで 祖父が臨終に言い置いた借金の中に 講の支払い分が残っていました。祖父が二十人ほどの知人たちと始めたものでしたが 祖父は 比較的に早く 借りる順番が廻って来たので 後は 毎月毎年 残りの人たちに掛け金を支払うだけになっていました。祖父は 先ほど述べたように高利貸しをしていたので 金運はよかったのですが 同じく先述したように 色街で遊んだりして 出るほうも充分大きかったのです。その無尽の金が入った頃と前後して 実は 祖父は今の祖母を後妻に娶りました。祖母は 実は花柳界の人だったので そのためにいろいろ出費も嵩みます。
――あいつは無尽の金で芸者を嫁にした。
という噂が立つのも無理からぬところです。もっとも 几帳面さがあくどいやり方に移行することはなかったようで また今と違って道義的な通念がやや違っていましたので そんなこんなの事情の中にも 祖父は町の中でも一つの信頼を置かれた存在でもあったと言います。と言うのも 身内の者をもってこんな言い方をするのも 実は 祖父は 本当の祖父ではないからです。
父は 幼い時 子供のなかったこの祖父夫婦の所へ 養子として入ったのでした。さらに付け加えるならば 父にとって今の母(私の祖母)は さらに第二 いや生母から数えて第三の母ということになります。最初の養母は早く亡くなりました。
さて この無尽の掛け金の支払いが まだ残っていました。今は 家の世帯主となった父が それを受け継いでいますが その幹事が 《文治郎さん》でした。この老人は 毎月 会員の家を廻って 世話をしているわけです。この日の朝も 文治郎さんは 隣の町から遥ばる雪の中を訪れて来たわけでした。

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私は 積み木の手を休めて いや もう積み木はどうでもよく 聞くとはなしに玄関の鼎談を漏れ聞いておりました。文治郎さんのよく通る低い声が聞こえてきます。
――これだけお金の値打ちが変わってしもうたんじゃから 一つここで御承知願うわけには行かんじゃろか。わしも すでに一度変えたものをこうやって二度も変えることを頼むのは辛いんじゃが 後の人たちが値打ちの下がった掛け金を受け取るのでは こりゃ不公平だと思うもんじゃから。
――そうですか。東本さんなんかはどうおっしゃってるんでしょうか?
――東本さんも 先の終戦直後の変更があったもんじゃから そうしょっちゅう変えられても困ると言っとらしたんじゃが まだ数人も残っとることだし ということで 今度やっと承知してくれました。
――そうですか。
――・・・和吉(私の父のこと)も こうしてええ会社に勤められるようになったことでもあるし ひとつ御承知願いたいのじゃが・・・。
――そうですねぇ。おばあさん うちは先に順番が廻って運がよかったんやし そうさしてもらいましょか?
祖母は黙っておりました。心の中で 悪いねぇと言って うなづいたように思います。
――それじゃ 一応主人に相談してみますけど 今度から そういうふうにして頂いて結構と思います。
――そうですか。それは恐れ入ります。
文治郎さんが わしもこんな役は本当は苦手なんじゃが・・・と言って 話がまとまったようでした。
やがて 文治郎さんが帰ると 母は掃除の続きを始めましたが 彼女は 例えばこのように掛け金増額の件について ほぼ独断で為したことを――生活は決して楽なことはなかったのですが―― 気に留めていませんでした。この件についてその点 祖母も心がひとつ休まったかもしれません。父は 先にも述べたように 不承知のものについては初めから明確に反対の意を表明する人で 母は 父がこの無尽の受け継ぎに関しては初めからすべて承知していたことを知っていたからです。このような節を通すところは 父は 祖父つまり彼の養父であり義父に似たのかもしれません。書斎を掃除していて 母は 父の机の上に開いたままに置かれていた時 読んだかどうか分かりませんが 例えば《ロンドンの憂鬱》の中には 次のような箇所が 赤鉛筆で傍線が施されてありました。

・・・例へば イギリス人はあれ程現金な計算高い商業国民でありながら 国家の赤字克服と云ふ健全財政のためには他国民とは比較にならぬ高率の納税を甘受し なほその上の増税にも黙々として服従してをります。・・・
・・・一見平凡そのもの 非理想的打算的功利的に見える程実は反対に非凡な理想的な超打産的没我的な性質を発揮するのがイギリス人の常識哲学であります。・・・

父は――そして私も――イギリス崇拝者ではありません。そうではなくて ここには 父のいわば竹を割ったような性格の一面が 祖父の事業とも思い合わされて にじみ出ているような気がします。
そのような父そして母 そして二人の互いの呼吸のよさはいいのですが 義息夫婦の家庭のそんな優しい面とは別の所で やはり悲しい面が現われていました。祖母には。祖母は 決して気の弱い人ではありません。弱気で十数年も芸妓として生きては来られません。むしろ生命力の旺盛な 勝気な人だったそうです。ただ 勝気・必ずしも強気ならず 旺盛な生命力の持ち主・即巧妙な生活者とは限りません。
先に述べた 祖父が他界し 街全体が戦災に遭った大空襲は戦争の終わる年の七月十七日だったかの夜にありました。八月十五日が敗戦の日なわけですが この辺りを境にして 祖母の世界は一変してしまったというよりも そして老弱を願ったなどということはないのでしょうけれど 日に日に 一人旅の道を歩くように これを願ってのように 寡黙になっていきました。
生きる力は強く 若い心の持ち主でもあったので 充分には寂しさを寂しさとしえず 自分でも歯痒かったのでしょう 時折り 彼女の丸っこい大きな眼は 皺がよじれた顔の中でひときわ鋭く輝きどこか遠くの方を見つめているようでした。ずっと後になって――彼女の死後―― 彼女のこんな貌を思い出す時には 私は 昔見た竜神の夢の中の 一頭の牝牛のイメージが それと重なったものでした。祖母は 現実を離れてそんな世界へ旅立とうと物思う時が多くなり それによって 私のことは余り遊んでくれませんでしたが もしたまに遊んでくれる――ただ私と積み木との脇にじっと見守っているだけですが――時でも 歩いて来た道や これから更に辿ろうとする道についても 決して愚痴をこぼすようなことはしませんでした。私が積み木の城を建てて あわあわと言って脇の祖母に賞賛を要求する時 祖母も相好を崩して皺がさらに増えますが ただそのようにして細くなった眼でも その視線だけはやはり鋭いものがあり 決して視線の相好だけは崩れませんでした。それにしても 祖母は とぼとぼと歩いていました。
・・・
O la lune matinale
Machinalement on marche
A à jamais dormir.
・・・
今 祖母は 縁側にうずくまって針仕事をするでもなくしないでもなく 何やら考えごとをしているように見えます。やがて母の掃除も洗濯も終わる頃 薄く微かに燃える真昼が ガラス戸を通り越して 祖母の肩に淡く差し込んで来ました。(おわり)

(註)此の一篇は全然つくりものがたりなり。
かかる事をわざわざお断りするのは小生の頗る不快に思ふところなれど 世の中には思ひのほかそそっかしき人のありて その人々に小生の作品を小生の自伝なりと思ひ込まれて飛んだ迷惑をしたる事一再ならず。近くは大正二年二月一日より同三日に至る都新聞の小生に関する記事の如き 書かれたる当人の身に覚えなき事のみなりき。想ふに彼の鉄面皮にして礼儀をわきまへざる記者は 拙作《ものの哀れ》《途すがら》《噂》等を読みて粗忽千万にも 小生自身の半生をそのまま描きしものなりと速断して 常に彼等が貴重なりと称する紙面にまことしやかに大嘘を書きつらぬる結果に陥りしものならん。
かかる誤解を招く事も世間様のいやしみ給ふ小説など書きし罰にほかならずと思ひて一度はあきらめもしつれ 小生の為めに引合いに出されし人の迷惑を思へば心苦しさに堪へざるものあり。即ち茲に此の一篇のつくりものがたりなる事を付記して・・・誤解予防に備ふるものなり。
水上滝太郎《世の中》 大正二年)

二章を費やして 小説を差し挟んだのは ことばが 理念としてであっても まだ――あるいは もともと――わたしたちの存在じたいではないことを 重ねて主張したかったからです。
後行する経験領域が それとしてどうでもよく まただから それをおそれ大事にするといった意味で 言葉はわたしたちの存在そのものではないと 言い切って終わりとなるのではないかもしれない。ことばは 経験領域を超えたもの・あるいはそのように超えて先行する主体を 指し示そうとするものである。なおかつ 理念としても《わたし》自体ではない。わたしたちが経験的なものを超えて 人間のことばに到達すべきだと言うときにも わたしたちが《ことばとなる》ことではない。しかも わたしたちの存在を主張し その先行する基本主観をうたうのは ことばを通してである。
上に水上滝太郎(阿部章蔵)の文章を引きあいに出したのは かれが そういうことばの用い方をする人だったと思われるからである。引用文の中の小説作品《ものの哀れ》は 最初に《信次のその後》と題されたものであり その意味は かれの実質上の処女作《山の手の子》のそういった《つづき》というにある。この処女作は まったく拙いと言ってよいものである。ただ おもしろいと思って ここで取り上げようとしたわけは 先ほども言ったように ことばの背後に作者じしんが・ないし一般化して《わたし》が 確実にいるという性格を よく現わしていると考えるからである。
(つづく→2005-02-23 - caguirofie050223)

貝殻追放抄 (岩波文庫 緑 110-1)

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大阪の宿 (講談社文芸文庫)

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