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哲学いろいろ

#34

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§8 小林昇(稿)《 Das Japantum について――住谷一彦『日本の意識―思想における人間の研究 (同時代ライブラリー)』を机上に》―― d

§8−4

だから どちらにしても 住谷の見解は 実質的な内容として 基礎知識の確認はあるが 新しいものではないはづだ。新しいものだとしたら 日本全体にわたる住谷教の教祖として立つと言ったことに等しい。そうでなければ 《歴史はなるようになる そしてそれは 〈一般エートス〉の関数である》というのが 大筋の議論なのだ。
いや そこまでは 価値判断をしていないし むしろ どうでもよい(つまり 読者の判断にゆだねる) したがって じつは なるようになるだろうと いうのだろうか。研究の姿勢 その成果の発表のねらい こういった領域が 考察される必要があるのではないだろうか。また そういった考察をする議論で 結局は 具体的な知性のあり方の問題を 見定めておくということになるのでは。無難なところでは 住谷は 《わたしは一個の知性である》と語ったのであり それだけである。(民俗知識とその研究史の知識を別にするなら)。

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