caguirofie

哲学いろいろ

#208

もくじ→2005-05-13 - caguirofie

第四部 聖霊なる神の時代

第三十八章b ただいま現在の《エネルギッシュな》史観の方程式展開そのものが コミュニスム(愛の火による共同主観)なのである

〔人間および自然が本質をそなえていること( Wesenhaftigkeit )すなわち人間が人間にとって自然の現存として また自然が人間にとって人間の現存として 実践的 感性的 直観的となったことによって 疎遠な一本質についての 自然および人間を超越する一本質についての問い――自然と人間との非本質生についての告白をふくんでいる問い――は 実践的に不可能となった。〕
こうした非本質性の否認としての(* 非本質性に対するさらにむしろ別種のA語理論による批判としての)無神論は もはやなんの意味ももっていない。
なぜなら 無神論は神の否定(* それは 宗教形態化した神 の否定)であり そしてこの否定を介して人間の現存を措定するからである。

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