#82
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513
第二部 唯物史観への批判
第六章 理論としてのキリスト史観(2――前提をさらに理論化する)
第六節b 至聖所に入る共同主観は――理論ではなく―― 愛の勝利として栄光がもたらされる
かれは 《叫ぶことなく 声をあげることなく その声をちまたに聞こえさせず また傷ついた葦を折ることなく ほのぐらい灯心を消すことなく 真実をもって道をしめす》のでなければなりません。共同主観者が 外交官である必要がなくなるまで いやむしろ 神の計画による悪(悪魔)さえの配置が 正しく行なわれるようにかれはつねに外交官でもあるというようにして 共同主観〔の原理〕の完全な勝利の時まで 帰郷の旅路を問い求め見出しつつあえぎ求めるとともに 外交官としてこの世を用いつつ神の国を享受するのです。