caguirofie

哲学いろいろ

#20

――遠藤周作論ノート――
もくじ→2005-11-03 - caguirofie051103

§33 繻子で織られた倫理の想像なるわたしが焼き尽くされて

わたしは このように批判する知識をいったいどこから得て来たのかと問われたことに対して それは 遠藤周作さんや その他 批判の対象としている・またはそれを援用している人びとの作品であると言い訳することは可能であるし この点は バツの悪さを与えてしまったことに対して そう言い訳をしなければならないことかも知れない。あるいはわたしは この言い訳を隠して用意していたのかも知れない。しかし 事は本質的に この弁解だけでは済まないのであって 人はさらに その知識じたいの源泉を訊いているのではない そのように批判する元の観点 いわばきみの知恵はどこから得て来たのか こう問い返して来ます。しかもわたしは 神秘的な表現でこれに返事をかえすことはゆるされない。それは ありうべき言い訳の隠匿であるから。
しかしわたしは この問いには すでに答えております。言外の言を読む その人を読むのだと。想像においてではなく 想像をとおして。わたしがわたしするときだと。そうしてまた 遠藤さんらの作品に引用された教えからでもあると。そのわたしの解釈をも示して来ました。また 前史のわたしは 焼き尽くされるのだと。《繻子の消し炭の中から 仕事がつづく》のだと。

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