Midi-Pyrenees
l'Hospitalet-du-Larzac, vallee de Dourbie, les Grands Causses
――シンライカンケイ論――
もくじ→2005-04-07 - caguirofie050407
第二部 シンライカンケイについて――風の理論――
(2005-04-20 - caguirofie050420よりのつづきです。)
第四十四章 《出発点》じたいが 動態である。
柄谷行人氏が 偽善をかかげたからと言って これを ただちに偽善原則の二重人格であると決め付けるのは まちがいである。その点に触れつつ 批評を補っておきたい。
煮詰めた議論としては その著《探究(1) (講談社学術文庫)・探究2 (講談社学術文庫)》によれば 柄谷氏は同じくのように 信仰原理を《出発点》において捉えているように思われる。
- わたしたちの批判点は それが 思想原則ないし科学認識に終わっているのではないかという微妙なところにあった。だとすれば 人間的な偽善の原則となって 必ずしも話し合いの実質的な内容を 実際には形成しがたいというものである。だが 無神論として 一つのしかるべき信仰形態であるかもしれない。
わたしたちの見方と対照させるかたちで 次のような柄谷氏自身の図示をとらえることができる。