言語記号の恣意性は正しいか
もくじ
- ささやかなソシュール批判→本日
- ソシュール批判のこと( memo のみ)→本日
- 《言語記号の恣意性》に対する反証例(例示表)→[言語]ソシュール批判・補説 - caguirofie041023
- 《言語記号の恣意性》に対する反証例(上の表示に対する補説)→2006-12-22 - caguirofie061222
- 《maru =丸》について→2006-12-21 - caguirofie061221
- 日本語において子音が相認識を持つ(音素がみづから意義素でもある)という仮説→2005-06-17 - caguirofie050617
- 言語記号の自然的な絆について→2006-05-09 - caguirofie060509(上と同じもの)
- [序説・にほんご]:序説・にほんご - caguirofie050805
ささやかなソシュール批判
- 作者: 丸山圭三郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1981/07/15
- メディア: 単行本
- 購入: 4人 クリック: 36回
- この商品を含むブログ (21件) を見る
- 作者: 丸山圭三郎
- 出版社/メーカー: 大修館書店
- 発売日: 1985/02/01
- メディア: 単行本
- クリック: 1回
- この商品を含むブログ (4件) を見る
上記に対する批判となります*1。(日本語は基本として大野晋岩波 古語辞典 補訂版に拠ります。)
(1)《なぎ nagi 》という発音形態は 《薙ぎ・凪ぎ・和ぎ》の三つの意味の語をかたち作っている。これを 暇に任せて分析してみると 互いに同じ類型の意味内容をも持っていると分かる。《障害を除去する。邪魔と見做されたものが除去される》という意味の類型である。(自動詞と他動詞の違いは つねにあると見ておくことができる。)
- なぎ nagi =薙ぎ・凪ぎ・和ぎ
- (切り払うべきもの・波風・心の動揺がそれぞれ順に障害ないし邪魔と見做され これを除去する・これが消滅する という意味内容となっている)