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哲学いろいろ

言語記号の恣意性は正しいか

もくじ

  1. ささやかなソシュール批判→本日
  2. ソシュール批判のこと( memo のみ)→本日
  3. 《言語記号の恣意性》に対する反証例(例示表)→[言語]ソシュール批判・補説 - caguirofie041023
  4. 《言語記号の恣意性》に対する反証例(上の表示に対する補説)→2006-12-22 - caguirofie061222
  5. 《maru =丸》について→2006-12-21 - caguirofie061221
  6. 日本語において子音が相認識を持つ(音素がみづから意義素でもある)という仮説→2005-06-17 - caguirofie050617
  7. 言語記号の自然的な絆について→2006-05-09 - caguirofie060509(上と同じもの)
  8. [序説・にほんご]:序説・にほんご - caguirofie050805

ささやかなソシュール批判

ソシュールの思想

ソシュールの思想

ソシュール小事典

ソシュール小事典

上記に対する批判となります*1。(日本語は基本として大野晋岩波 古語辞典 補訂版に拠ります。)

(1)《なぎ nagi 》という発音形態は 《薙ぎ・凪ぎ・和ぎ》の三つの意味の語をかたち作っている。これを 暇に任せて分析してみると 互いに同じ類型の意味内容をも持っていると分かる。《障害を除去する。邪魔と見做されたものが除去される》という意味の類型である。(自動詞と他動詞の違いは つねにあると見ておくことができる。)

  • なぎ nagi =薙ぎ・凪ぎ・和ぎ
    • (切り払うべきもの・波風・心の動揺がそれぞれ順に障害ないし邪魔と見做され これを除去する・これが消滅する という意味内容となっている)

*1:ソシュール自身は 自分の学説について それは破綻しているのではないかと考えていたと思われます。

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