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哲学いろいろ

アマテラスは スサノヲの非行をなぜ咎めないのか

アマテラスは スサノヲの非行をなぜ咎めないのか

1. 古事記などが伝えるスサノヲとアマテラスの物語には われわれ現代人が人間を
考える上での恰好の題材を提供していると思われます。そこで 表題の件で問います。
質問者なりにあらすじをしるしますので:
 
 ○ ほかの人びとはスサノヲを咎めてもアマテラス自身はそうしなかった。
  それは何故か。

について 見解を示してください。

 

 


     *

2. スサノヲは イヅモで復活する前に タカマノハラの世界でアマテラスの《なぜ
わたしの領域にやって来たのか。それは領土を奪いに来たのではないのか 》という疑い
によって悩まされていた。かれは 理屈で弁明するよりは 非行・愚行を繰り返すとい
う破廉恥な抵抗によって 自己の知恵の同一にとどまろうと欲した。その一つに:

   アマテラスオホミカミが 忌服屋(いみはたや=清浄な機屋)に坐(ま)
  して 神御衣(かむみそ)を織らしめたまひし時 〔スサノヲが〕その服屋
  の頂(むね)を穿ち 天の斑馬(ふちうま)を逆剥(さかは)ぎに剥ぎて堕
  (おと)し入るる時に 天の服織女(はたおりめ)は見驚きて 梭(ひ)に
  陰上(ほと)を衝きて死にき。(古事記

とさえ記されている。

3. もちろんスサノヲは 殺そうと思ってそうしたのではないであろう。だが あえ
てこのようなハレンチな行為をも辞さなかった。
現在から見てもその当時から見ても 問題児の行為である。不法行為につながっている。
――しかもそのハレンチ行為をおこなうことによって 自己の知恵の同一にとどまろう
とした。どういうことか?

4. そこで これらの天つ罪と呼ばれる非行のあと 罰を受けてタカマノハラを追放
されたのだが しかもなおそれでも イヅモに来てスガの宮での復活を受け取ることに
なった。
こうなると・つまりあたかも神の国がそこで生起して身も心もが復活し ひとの歴史が
前史から後史へ入ったとさえ考えられる。スガの宮では だじゃれが交じっているが 
こう言った。:

   わが心 すがすがし。(古事記

5. とすると おそらくこの神の国は 過去へとさかのぼり 後史が前史をも覆う・
つまり前史を完成させるということが 生起するのではないか。

6. それは こうだ。この世にあっては 神の国は地上の国と交ざり合ったかのよう
に互いに入り組んでいるのだ。地上の経験的で相対的な人間の愛が ちょうどその向き
を変えられ回転せしめられてのように あの神なる愛につらなるという〔観想的な〕事
態を見ることになるのではないか。まぼろしではある。

7. なぜなら 《その皮を剥いだ馬を機屋の屋根を破ってその穴から落とし入れて 
その結果 服織り女たちは驚いてしまい ひとりは 梭(=杼=shuttle)にほとを衝い
て死んでしまった》という経験の中のスサノヲの前史の心を すでに そのスガの宮で
の後史の心がおおいつつむと見られるから。ちょうど:

  王はその宮からわたしの声を聞かれ
  王に叫ぶわたしの叫びがその耳に達しました。(旧約聖書詩篇18・6)

とすでに言ってのように 前史の愛――自己の同一性の知恵――のなかに後史(または 
王の本史)の愛がたしかに はたらいていたと見出されたかのように。

8. あるいは:

  〔神の愛は〕処女の胎から あたかも閨(ねや)から出てきた花婿の
  ように 道をかける巨人のように躍り出た。
  (旧約聖書詩篇 19・5;アウグスティヌス:告白 4・12〔19〕)

というのが 事の真相であるのではないか。これによって機織り女が驚いたのでないな
ら それは 何故か。機織り女も 肉の眼によってではなく 心の内なる眼で ナゾ
(神の愛)を見たか。きよくあきらけきこころにやどるナゾ。

9. この事件のあと 《ゆえにここにアマテラスオホミカミは見畏(かしこ)みて 
天の石屋戸(いはやと)を開きて さし籠もりましき》。つまり その身を隠した。
あたかも検事も判事も引っ込んでしまった。

10. スサノヲは 世界にもその類型が見られる《トリックスター》の話に分類され
るなどと見る向きがあります。これに異を唱えてもいます。問題が違うのだと。日本人
の神は オホモノヌシすなわちヒトコトヌシのカミであるとも言おうとしています。心
のふるさとは 伊勢神宮ではなく 三輪山なる大神(おほみわ)神社であると。





11. もう一例を引きましょう。
スサノヲは アマテラスの疑惑を疑い返し やはり自己の知恵の同一にとどまろうとし
この上の事件を起こす前に 次のような愚行をおこなったと記されている。:

   アマテラスオホミカミの営田(つくだ)の畔を離ち(境界を取り除き)
  その溝を埋め また その大嘗(おほにへ)を聞こしめす殿(アマテラス
  の神聖な御殿)に尿(くそ)まり散らしき。(古事記

これは いわゆる反体制の運動のようなのだが:

12. そのあとアマテラスはこれを いっさい咎めなかった。:

   しかすれども アマテラスオホミカミは 咎めずて告りたまひしく

    ――尿(くそ)なすは 酔(ゑ)ひて吐き散らすとこそ 我(あ)が
    汝弟(なせ)のミコト(=スサノヲ)は かく為(し)つらめ。また
    田の畔を離ち 溝を埋むるは 地(ところ)を惜(あたら)し(=土
    地が惜しい)とこそ 我が汝弟のミコトは かく為つらめ。

   と詔(の)り直したまへ〔ども なほその(スサノヲの)悪しき態(わざ)は
   止まずて転(うたて)ありき〕。(古事記 承前)

13. 要するに アマテラスは いっさいスサノヲを告発せず しかもなおかれに
対する疑惑を――こびりついた人間不信であるかのように――解かなかった。

    *

14. 疑惑を解かないけれども 咎めもしなかった。なぜか?

15. 《疑うなら つまりそう考えるなら 我れあり。》と考えていたという答え
をひとつ用意していますが――《認識居士》(!?)のエートス―― いろんな解釈
があると思われ みなさんの知恵を拝借したいところです。
 
16. スサノヲの清くあきらけき心は 証明され得ましょうか?

17. ハレンチな振る舞いをめぐって 《わたしは〈和を乱すな〉と言われなかっ
たなら 和を乱すことを知らなかった》と言えるか?