caguirofie

哲学いろいろ

大衆は 絶対的に愚かか? 普遍性を知らないか? ゆえにつねに侏儒の言葉しか出て来ないか?

oshiete.goo.ne.jp

 

 1. ここで《絶対的に》というのは 修辞学の問題です。いわゆる文芸部
の好んで用いる無定義による用法です。(ただの強調用法)。

2. つまりまさに無定義にもとづくことの・むしろ普遍性を《信じている》
場合の言葉です。

3. この場合の《信じる》というのも 無定義で一般に用いられているそ
れです。(強調法)。


4. 《ながながし夜を ひとり かも寝む》の《ひとり》が あんがいわ
れわれ日本人の《大衆》的思想の土台であるのかも知れない。――その意味
で〔のみ〕 個人主義的である。

5. 要するに《ひとり》で個人たる《われ》のいだく思いは それこそが
《絶対》なのだ。ということになっている。のだろうか?

6. 隕石が降って来ても その《こころ》は びくともしない。不動明王



7. ところが 一般に人びとは 《神とは この人がこう言ったりあの人
がああ言ったりしていても どの神も同じひとつだ。そうに決まっている》
というふうに《信じている》。つまり その場合には 普遍性に信頼してい
る。

8. ひとりたるわれが バラバラではない。




9. さて 人びとは 普遍性を知らない愚か者か? 

10. 《〈ひとり〉教なる〈われ〉教》に染まった侏儒なる不動明王でし
かないか? つまり 哲学とは無縁か?