caguirofie

哲学いろいろ

論理的と合理的は違うと思います。 どう違うか説明してもらえますか?

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10588172.html
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie

A№3
1. それほどの違いはないと思います。次のように 合理性のもとに論理
性が成り立っているはずです。


2. 合理性とは いま超経験の場――つまり 神――の問題を措いておく
なら 経験事象についての認識において用いられる物指しです。

3. 経験的なモノ・コトについて 間違いがなく・互いの認識内容に矛盾
がなくととのった見方と成っているとき それは 理性(感性をも含めよ)
に合っていると見なされます。



4. この合理性は――つまり 経験合理性のことですが―― 矛盾がない
と言うためには 差し詰め ふたつの条件を満たすことが求められます。

4−1. 或るモノ・コトである A について 《 A は A である》という
自己同一性をまもること。

4−2. A は 経験世界つまり時空間の中に(あるいは それ自体が 部
分的な時空間として)あるが このとき 因果関係を成しており また ほ
かのモノ・コトである B や C その他その他との相互影響の関係にある。

4−3. モノ・コトどうしの影響関係も 因果関係(縁起)と呼ぶとすれ
ば それについての法則性が認識され それは 因果律を成すと見られてい
る。

4−4. つまり 自同律と因果律とが 経験合理性の内容を成す。




5. 論理とは 世界のあらゆる事象について捉え 捉えた認識(情報)を
用いて人間が思考するとき なおもその認識や思惟の過程に 経験合理性が
つらぬかれていることを言う。

5−1. もし世界の事象の中に 経験合理性なる物指しで捉えられないも
のがあったとしたら そのことの例外性について 合理的な理由を明らかに
すること。これも 論理性である。



6. 保留しておいた《超経験の場》をめぐっては どうか?

7. つまり 神論であるが 経験合理性を超えているのであるから その
神を捉えるときには 論理に飛躍が出ることをまぬかれないと考えられる。

8. 言いかえると 飛躍の出る前に合理性のゆるすかぎりで 神が何であ
るかについてあらかじめ《想定する》という方法を哲学は 用いる。

9. 仮説法(アブダクション)と言う。

10. つまり 神論を始める前に それは 《超経験の場》であるという
――合理的な――想定をおこなうということ。