caguirofie

哲学いろいろ

「ねこさん。《次元》って 何なんですか?」

http://nekodamashi-math.blog.so-net.ne.jp/2018-04-28?comment_success=2018-05-02T16:45:46&time=1525247146

正確な定義ではないですが、

空間の点を表すのに必要である、最小の、1次独立なベクトルの個数

が、空間の《次元》です。


たとえば、xy平面上の任意の点Pの座標を(x,y)、その位置ベクトルをとします。

基底ベクトルは互いに1次独立であり、xy平面上のすべての点は、

  ・・・

との1次関数(線形写像)で表せるので、xy平面という空間は2次元ということになります。

同様に、3次元空間のすべての点P(x,y,z)は、1次独立なを用いて

  
・・・
と表せるので3次元。

4次元空間のすべての点P(x₁,x₂,x₃,x₄)は、

・・・

を用いて、

  

と表すことができる。

・・・

ですから、

空間のすべての点が、互いに1次独立なベクトル

 ・・・

を用いて、

  

と表すことができるとき、その空間はn次元である

ということができます。

ということで、

空間のすべての点を表すのに必要な、互いに1次独立であるベクトルの最小の個数がその空間の次元です。

うるさいことを言わなければ、

ある空間のすべての点を表すのに必要最小限の座標軸の数といってもいいんでしょう。

ただし、2次元平面上や、3次元空間上にある直線は1次元(の図形)ですよ。

直線上の適当な一点を原点Oに選び、右の図のように大きさ1の基底(基本)ベクトルを定めれば、直線上のすべての点Pは、線分OPの長さx(+、−の符号付きの長さ)と、このを用いて

 ・・・ 

と表わせますので。

(数学的な)空間には特別な座標軸なんてものはありませんので、どこを原点にとり、どの方向に座標軸を設定するかは決まっていません。まさに、座標系の設定は、任意(そのヒトの意思に任せる)、恣意的なものなんです。

ですから、座標系の設定の仕方によって、空間の次元の数が、2や3といった具合に、1つに定まらないので、この恣意性をなくすために、1次独立、最小の個数という枕詞が必要になります。

ということで、この例のように、数学でいう次元と我々が日常感覚的にとらえる次元とが食い違う場合があります。

この例は直線ですけれど、我々が普通2次元図形と考えている平面上の円も1次元の図形と考えることができます。

だって、円の中心を原点にとれば、半径aの円周上の点はすべて、半径a(定数)と角度θだけで与えられますから。

座標軸は直線でなければならないなんて決まりすら数学にはないんです。例として、極座標などの曲線座標系。

というか、数学の直線は無定義語ですから、直線がウネウネと曲がっていても実は構わないんです(笑)。

どれを直線と呼ぶかは自由。この意味において「数学は自由」です(^^ゞ

まぁ、こっちの方向に進むと非ユークリッド幾何学になり、そして、その先にアインシュタイン一般相対性理論ということになりますが・・・。

特に、こうしたことが問題になるのは物理学の力学でいう運動の自由度でしょう。上で述べた理由から、2次元平面における直線運動や円運動などの自由度は1になります。円運動の場合、半径が一定と運動の条件が制限されているので、運動の自由度は2−1=1になってしまう。

こうした運動の制限を、物理、力学では、束縛条件とか呼ぶんじゃなかったかな。

文学、哲学的にこれを言うと、本来、2次元平面上を自由に運動することができるのに、「お前は直線の上にいろ。円周の上にいろ」という制限、強制が加わり、本来の自由が制限されている状態にある、と表現することもできるのでしょう。

そして、哲学的には、空間の《次元》よりは、こうした(運動の)自由度の方が示唆に富んでいるのではないでしょうか。

物理空間がホニャララ次元であるなんて、認識論の一部を除けば、哲学的には瑣末な話でしょう。自由と制限といった自己と他者との関係の方が重要だと思います。

そして、これらは、《次元》よりも関数や関係を支配する諸《変数》(の個数)といった観点からとらえたほうが筋がよいに違いありません。

 ――力学でいう運動の自由度、束縛条件などの話は、ddt³さんにお任せします(^^ゞ――

脱線しましたが、

プリミティブな空間の次元の概念自体はそれほど難しいものではないと思います。

難しいのは、空間の次元(の定義)ではなく、3次元を越える4次元、5次元、・・・n次元という空間ならびに3次元以上の図形をアタマなの中にイメージするなのでしょう。

そして、私が考えるに、

地球上に住む生きとし生ける物は、すべて、3次元空間、3次元空間の図形を正確にイメージすることができない!!

左右2つの目それぞれから得られる2つの「2次元の絵」をもとに、脳は擬似的な3次元空間を作ります。脳が作るのは、あくまで擬似的な3次元空間(2次元のモニター画面に描かれる3次元のコンピュータグラフィックスのようなもの、あるいは、ホログラムのようなもの)であって、3次元空間そのものではないですから。

まして、4次元空間、4次元の図形を正確に思い浮かべるなんて絶対にできない。

少なくともヒトは、こうしたことがうまくできないから、上のように、幾何・図形を代数に落とし込み、計算に持ち込みます。こうすれば、誰でも機械的に計算できますから。

座標というアイデアを使って、幾何の問題を代数の問題、計算の問題に変えたのが、デカルトです。




bragelone

佐渡のほうへ行っちゃっていたかと思って ブログを見ていませんでした。遅くなっちゃった。

ふうーむ。

◇ 座標というアイデアを使って、幾何の問題を代数の問題、計算の問題に変えたのが、デカルトです。
☆ デカルトをバカにしていましたので 見直さなくてはなりません。

◇ 空間のすべての点を表すのに必要な、互いに1次独立であるベクトルの最小の個数がその空間の次元です。
☆ これ 分かりやすいようには感じます。ベクトル2個で 二次元。

しかし 《ベクトル》なのですね? つまりそれは 人間が生きて活動しているというようなところに基づいていますか? 

スカラー量って言いましたか ベクトルでない場合は 次元がない・・・のですか?


◇ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして、私が考えるに、

地球上に住む生きとし生ける物は、すべて、3次元空間、3次元空間の図形を正確にイメージすることができない!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☆ ふうーむ。へえーっですね。

《見ている・見えている光景》が 空間的つまり三次元であるようには 感じますが。


◇ 数学の直線は無定義語ですから、直線がウネウネと曲がっていても実は構わないんです(笑)。
☆ これは 宿題にもしておきます。非ユークリッドからやらなくては。

◇ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
物理空間がホニャララ次元であるなんて、認識論の一部を除けば、哲学的には瑣末な話でしょう。自由と制限といった自己と他者との関係の方が重要だと思います。

そして、これらは、《次元》よりも関数や関係を支配する諸《変数》(の個数)といった観点からとらえたほうが筋がよいに違いありません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☆ これは 深そうですね。

《自己と他者との関係とそこにおける自由と制限》。ううーん。

さしづめ思ったことは:
これは 四次元という世界と――つまり 経験合理性の適用される範囲と――相関している・・・と見てよいのかどうか?
 

ということは 五次元以上の次元は 幾何学+時間の世界が そのままでは効かない(通用しない)ということを物語っていますか?



◇ 幾何・図形を代数に落とし込み、計算に持ち込みます。こうすれば、誰でも機械的に計算できますから。
☆ そのように代数に落とし込んだかたちでしか捉えられない四次元世界の代用物というのは 第五や第六の次元というよりは 四次元の時空間を数量の問題として想像にゆだねその世界を――イマジナリーナンバーのごとく――打ち立てておいた。

でも そこにベクトルが捉えられそれで測定できるから 次元と言う。

ううーん。けれども 《知覚して認識しうる世界》は 四次元まで。・・・これで よいですか?


いやあ たいへんありがとうございます。聞いてみるものですね。