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哲学いろいろ

森田雄三郎:有賀鉄太郎『キリスト教思想における存在論の問題』についての解題

pp.459-466

ここに いわば日本の神学界の流行に背を向けつづけたとも言える先生(=有賀
鐵太郎)の態度が見られる。


弁証法神学一色に塗りつぶされたとも見える一時の日本神学界の動きの中にあっ
て 先生の思想的成熟は 見方によってはひじょうに孤独であったとも言えよう。
だが 一九六〇年代になると 各所からバルトやブルトマンに対する批判が公然と表面化
し 弁証法的神学全体の出発点にまでさかのぼって反省せよ との声も高まってきた。


これらの批判の根底には 新しい歴史的な状況展開の自覚が芽生えていることは 見逃せ
ない。それは 現代の科学技術の発展を通して そこに具体的に成立した地球人類の生存
意識と未曽有の危機意識の上に立って キリスト教の普遍性と独自性の自覚をいっそう真
剣に拡大深化せよ とのうながしを含んでいた。



有賀先生が