caguirofie

哲学いろいろ

bragelone

あーあ。耄碌しちゃったなあ。


☆☆ キリストは 男のかしら。男は 女のかしら。でしたか。


▲ コリントの信徒への手紙一/ 11章 03節〜

3: ここであなたがたに知っておいてほしいのは、
すべての男の頭はキリスト
女の頭は男
そしてキリストの頭は神であるということです。


4: 男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、
自分の頭を侮辱することになります。
5: 女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらない
なら、その頭を侮辱することになります。
それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。
6: 女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。
女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことな
ら、頭に物をかぶるべきです。


7: 男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではあり
ません。しかし、女は男の栄光を映す者です

☆ 何だか 分かったような分からないような。


頭への被り物というのも よく分からない。

ねむりねこ 2016/10/23 14:20

こんにちは。

この件については、以下のところに参考になることが書いてあります。
◆ 「男と女」  牧師 藤掛順一
http://www.yokohamashiloh.or.jp/reihai/message/shiloh_message070923mf.htm


カトリックではそうは考えないのでしょうけれど、プロテスタントでは
創造の秩序
とか何とか言うそうですよ。


創造の秩序
https://goo.gl/O1yUcC


パウロとわれわれは、時代、習わしをことにしているので、パウロが何を言わんとしているのか理解が困難です。
また、ここでのパウロの論理は成功しているように見えませんが・・・。


さらに、ウィキペディア
―――
エンキは肋骨に痛みを感じたが、シュメール語で"ti"は「肋骨」と「生命」の両方を意味する。別の神がニンフルサグをなだめ、怒りは収まった。ニンフルサグはエンキを治療するためにニンティという女神を作った。"Nin"は「女」という意味で、"Ninti"は「肋骨の女」または「生命の女」という意味である。ニンフルサグは全ての生物の母として知られ、イヴと同じ位置を占める。この話はアダムの肋骨からのイヴの創造の話と重なっているが、「肋骨」と「生命」が同じ単語で表されるのはシュメール語のみである。
https://goo.gl/iS5So5
―――

https://goo.gl/mTiuHT
などが参考になるのではないでしょうか。

bragelone

さすが専門家は いいこと言いますね。
伝統の中から よいものをさらに深く掘り下げ それを基にしてあたらしいことに
対処していくのだと。

◆ 女の存在の源泉は男である
◆ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
女は男のヘルパーではなくて、パートナーなのです。従ってそれは片方が一方
的に相手に仕えるとか、従属するという関係ではないのです。


この9節も、そういう従属関係、上下関係を言っているのではなくて、まず男が、
そして男との関係において女が造られたという神様の創造の順序を語っているので
す。
◆ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
神様はまず男アダムに、それから女エバに、その罪の責任を問い、罪に対する罰を
お与えになったのです。
◆ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その秩序に従うことのしるしとして、礼拝におけるかぶり物がある、とパウロは言
っています。男が礼拝においてかぶり物をかぶらないのは、7節にあるように、男
の頭(あたま)は彼の頭(かしら)、つまり存在の源であるキリストの栄光を映す
ものだからです。それに対して、女の頭(あたま)は、その頭(かしら)、つまり
出所である男の栄光を映すものである。しかし礼拝において現わされるべきものは
神の栄光、キリストの栄光なのだから、女はかぶり物をすることによって、男の栄
光を隠して、神に、キリストに栄光を帰すべきだ、これがここでのパウロの論理で
す。


◆ 「男と女」  牧師 藤掛順一

旧約聖書; 創世記 第2章18−25節
新約聖書; コリントの信徒への手紙一 第11章2−16節
http://www.yokohamashiloh.or.jp/reihai/message/shiloh_message070923mf.htm

☆ ひゃああーーっ。こんなことまで考えていたんですかぁ。



◇ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
パウロとわれわれは、時代、習わしをことにしているので、パウロが何を言わんと
しているのか理解が困難です。
また、ここでのパウロの論理は成功しているように見えませんが・・・。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☆ 男尊女卑のナラハシは 事実でしたでしょうから 何かと理屈をこねると見ら
れてしまう。
そして そういう習慣に合ったことをも言っているようですし。エペソ書で 妻は
夫に従いなさいと。


それにしても シュメールの遺産は かなり受け継がれているようですね。



▼ 世界史掲示板(荊の紀氏):あばら 肋骨を意味するヘブル語かアラム語自体
が「生命」
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/2975
☆ おもしろそうなのに 扱いにくい。うまくこなせないという感じがしますね。
深入りすると 出られないかのような迷路にも映ります。



いえ。
◆ 「男と女」  牧師 藤掛順一
☆ は いいことを言っていると思います。よく解説してるんぢゃないですか。
いやぁ。ありがたいです。