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哲学いろいろ

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オノマトペ:さらさら


オノマトペ
ふつうに・自然に もともとは ケ=日常性の世界のものです。

もっとも そうではなくこのオノマトペが ミーちゃんハーちゃ
んの使うものだと見なされ蔑まれて来たとするなら その段階で
は 音楽でも絵画でも芸術あるいはエンタテインメントの世界で 
自由にふんだんに用いられたときには まづもって歓迎されるで
しょうね。

アジャパーもガチョーンも 世の中を風通しよくさせてくれます。


オノマトペは ミーちゃんハ―ちゃんの好んで使う生活日常つま
りケの世界のものです。




▲ (万葉集 巻十四 3373番歌 東歌・作者未詳) 〜〜
http://blogs.yahoo.co.jp/sakuramitih15/39781833.

多摩川に さらす手作り 
さらさらに 
何そ この児の ここだ愛(かな)しき

・(現代語訳)多摩川に晒(さら)す手作りの布のように、さらに
  さらに、どうしてこの子がこんなにもいとしくてならないの
  だろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☆ このオノマトペが 言葉の自己表現においてまさしくケの世
界をつくる元気の素のひとつである。のではないでしょうか。

それが衰えれば ケ‐カレ(日・褻(日常生活)‐離れ)となり 
そこで意訳されて ケガレ(気枯れ・汚れ・穢れ)といったナラ
ハシをも生んだ。

そこでは ハレがつまりその特別の日が・その行事が 人びとの
心にアクセントをつけたのでしょうか。



★ ではわたしたちは「ことば」=「いみ」から逃れることはで
きないのか?
☆ これは ダメです。

問いの設定がおかしい。オノマトペもしくは自然言語としてのケ
の言葉は 生きていて すでにつねに意味と一体なのですから。

しかもその言葉=意味は その言葉や意味の見直しや練り直しを
とおして面白いほどに歴史とともに変化して行きます。

▼ 言葉なんかおぼえるんじゃなかった
☆ という場合の≪言葉≫とは むしろケから離れたお上品な・世
の中をいつも貴賓席から眺めているような人びとの好んで使う非
日常語のことを言っているのではないですか?

オノマトペは 草の根( grassroots )の言葉です。











Q&Aのもくじ:2011-03-26