caguirofie

哲学いろいろ

gloucestershire


ご回答をありがとうございます。

そうですね。
解釈することもあらゆる自己表現も自由なのですが それについて批判
することも 同じく自由であると考えます。

次のように批判の仕方を変えてみます。

▲(出エジプト記20:2−5) 〜〜〜〜〜〜〜
(あ) わたしはあなたの神、主であり、あなたをエジプトの地、奴隷
の住まいから導き出した者である。
(い) あなたはわたしのほかに、何ものをも神としてはならない。
(う) あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☆ これは ヘブル語聖書からの引用ですが ここで(う)の≪彫像と
しての偶像崇拝の禁止≫ではなく (い)の一文に焦点を当てます。

すなわち・ずばり ≪偶像崇拝を禁止する・人間の言葉で表わされた言
葉≫は 神か? という問いです。

≪何ものをも神としてはならない(い)≫ところを 人間の言葉による
表現またその内容を 神としている。のではないかと。

それとも その言語表現は ≪わたし(い)=つまり神そのもの≫であ
るということなのでしょうか? と。

神を取り違えている。そしてつまり その間違いを一般化して述べれ
ば ≪神のシルシである偶像を神として思い成している≫ことである。