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哲学いろいろ

時間


http://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/P6_04.htm
(i)物理学における決定論の現状


 はじめに、いまだ定まらぬ未来に向かって時間が流れていくという素朴な非決 定論は、相対論的な時空観の下では、首肯しがたいことを指摘しておこう。
なぜ なら、(既に、第1の問題として論じたように}事象が時間軸に沿って既定と未 定の2つの状態に区別されるとすれば、両者の界面としての「現在」が時間的な 超平面として表されることになるが、こうした超平面を特別扱いすると、ローレ ンツ不変性が破れて、諸々の観測事実と矛盾することになるからである。


一般に、 「現在」を物理学的に(測定可能な対象として)定式化するのは困難である。従 て、物理学的に有意味な非決定論とは、ある空間的超平面(仮に、現在と呼ぼ う)上で自己共立的(self‐consistent)なコーシー的境界条件を初期条件とし て課しても、その後の時間発展が一意的に定まらない理論を指す。
ここで過去 の側については、一般に(ビッグバンのような)時間の原点で一定の境界条件 が課されているので、現在の境界条件を併せることによって、時間発展が 一意的に決定されると考えても良い(別の見解もある)。


 歴史的な観点に立てば、古典力学的な決定論は、今世紀初頭に量子力学的な非 決定論(または確率的な決定論)にとって代わられたと主張することも可能だろ う。
古典力学では、(位置と運動量を表す)位相空間内部に1点を指定するだけ で、そこを通る軌道が一意的に定まり、過去および未来への時間発展が確定され る。
この場合、「時間」は、軌道上の位置を与えるパラメーターとなる。


これに 対して、公理論的に定式化された量子力学では、理論の定義として正準交換関係 ([q,p]=ih)が課せられるため、正準共役変数の標準偏差の積に原理的 下限が与えられる(ΔqΔp〜h)ことになる。
量子力学的な系を長時間にわた って時間発展させると、この「不確定性」が原因となって、偏差を表す軌道の幅 (いわゆる軌道のぼやけ)が次第に大きくなり、非決定論的な要素が無限定的に 増大していく。こうした性質をもとに、現代物理学の基礎となる量子力学を非決 定論であると見なす者は多い。



ここで、一部の誤解を取り除くために、量子力学の不確定性と観測との関係を 述べておこう。量子力学における「不確定性原理」とは、(原理の名に反して} 交換関係の設定という量子化の操作そのものに起因するものであり、巨視的な装 置による観測過程とは直接の関係はない。光子によって電子を測定するというハ イゼンべルグの思考実験は、位置と運動量の不確定性を強く印象づけるものだが 〔30〕、論理的には不確定性を示す現象の一例に過ぎない。また、観測に付随する とされる非因果的な《波束の収縮》は、量子力学の不確定性とは、全く無関係で ある。なぜなら、この『現象』は、状態の記述に観測装置を含めない場合には、 測定によって区別される状態の間での干渉を避けるために人為的に一つの状態を 選択する必要が生じるという、純粋に技術上の虚構に過ぎないからである〔31〕。 こんにち、物理的に意味のある観測の問題とは、量子統計力学で取り扱われる巨 視的な物体の状態を議論する場合にのみ現れると考えられる。すなわち、このよ うな系で、量子論的な密度行列の非対角項を巨視的に区別できない状態について 積分したとき、果して、位相因子の符号が頻繁に変化することによって古典的な 密度行列に帰着するか否かという問題である〔32〕。従って、非決定論に関する科 学哲学的な議論においては、量子力学的な観測については無視してかまわない。
 それでは、量子力学の定義の一つである正準交換関係から導かれる不確定性は、 非決定論的な現象を説明するのに必須の条件なのだろうか。この点について、筆 者は懐疑的である。その理由は、現在の状況を鑑みるに、量子力学の将来には多 くの不安材料があり、非決定論的な要素を含まない理論にとって代わられる可能 性が強いことにある。量子力学は、非相対論の範囲では、公理論的な取り扱いが 可能となって理論の構成に曖昧さがなくなるという意味で、「完全な」理論であ る(もちろん、この語は方法論的な意味で用いておリ、「完全に正しい」という ことではない)。しかし、これに相対論的不変性を導入した場の量子論の段階で は、(確率振幅の摂動論的な計算に現れる紫外発散をはじめとする)多くの困難 が現れる。こうした困難は、根本的には、正準交換関係を相対論的に拡張した同 時刻交換関係の表式:
[φ(x,t),π(y,t)]=ihδ(x−y)

が、時間的な同時性と空間的なデルタ関数という2つの特異性を含んでいること に由来すると想定される。この問題についての掘り下げは次節に譲るとして、も し、相対論的な正準交換関係を放棄して別の枠組みを導入しなければならないと すると、この関係に依拠している不確定性原理も変更を余儀なくされる。実際、 干渉の問題さえ解決すれば、(チッターべヴェーグングのような)量子論的なゆ らぎは、熱力学に見られるような古典論的なゆらぎに還元することが可能であり、 原理的な不確定性を伴わない理論を建設することは、充分に可能である。
 量子力学の将来にこのような不安が残り、正準変数間の不確定性が払拭される 可能性がある以上、物理学的な決定論の問題は、別の観点から眺めなければなら ない。こんにち、この問題について多くの物理学者から支持されているのは、現 実の世界は決定系でありながら、多数のアトラクターが競合しているために予測 不能になっているという見解である。このような系では、(摩擦のある振子のよ うな)最終的な状態が初期条件に余り依存しない系と異なって、一定の時間が経 過したのち系がどのような状態にあるかは、初期条件から始めて全てのステップ をシミュレートしなければ予測できない。しかも、初期条件の測定誤差およびシ ミュレーションの近似のため、予測の誤差は時間の経過とともに指数関数的に増 大すると推定される。従って、事実上、ある時刻の初期条件をもとに未来を完全 に予測することは不可能であり、その意味で非決定論と変わるところはない。実 際、カタストロフィーの理論の建設者であるトムは、ラプラス的な完全決定系の 世界において実験に基づく理論の制御が可能になるのは、構造安定な局所モデル が構成できるような場合に限られていることを指摘した上で、次のように言って いる:「ありふれた現象のうちに構造不安定なものがたくさんあるということは、 経験的事実である。そして、構造不安定であるが決定的な現象と、本質的に非決 定論的な現象とを識別する実験的基準はあきらかに存在しない」〔33〕。
 こうした予測不能な決定系のアイデアは、カントのいわゆる純粋理性のアンチ ノミーを解消するものであり、哲学的な議論を展開する上でも参照すべき点が多 い。ここで興味深いのは、決定論と予測不能性は両立可能だとする「コロンプス の卵」的な発想が、なぜこれまで科学哲学的な議論の俎上に載せられなかったの かという点である。実は、この疑問に対しては、カントが既に解答している。冒 頭に述べたように、自由に関する哲学的議論に矛盾を招来する一方の要因は、彼 によれば、悟性の適用法則が(物自体ではなく)理性によって支持されるという 事情である。これを現代的用語法で言い換えれば、因果的連鎖に関する認知の方 略が生得的プログラムに基づく学習によって規定されていることを意味する。こ のような観点から、次に、決定論/非決定論の2元的図式を超克できなかった認 知方略の実態を探っていくことにする。



Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie