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哲学いろいろ

ヘラクレイトス

 ヘラクレイトスの原文に沿ってでは必ずしもなくて 解釈の問題としてのべます。


 こんにちハという日本文は どう感じますか?
 特には ハ格(主題提示の格)がどのようにはたらいているのか?
 大げさに言いますと 《こんにち》というひとつの主題で このわれわれの世界を切り取ってまづはあなたさまに提示しますと言っています。
 こんにちハ ご機嫌どうですか? という意味で あなたの世界の情況はどうですかとあいさつしています。
 時間を《きょう・このいま》というふうに限定してはいるのですが。
  I love you. という英文は ワレとナレとそしてその関係としての愛スとで この世界を切り取ったわけです。
 ほぼそのような論理一本で意味が決まりますし その周りの《地》は後ろにしりぞきもう見えない。見えるのは おれとお前とのふたりとその関係。
 ところが 日本文で おれハ お前ガ 好きだ。と言うと  なるほど 《 I と you と love 》とで世界をやはり切り取っているのですが 意味はまだこれだけでは決まりません。
   ( a ) おれガ お前ヲ 好く。 ( I love  you. )
   ( b ) おれヲ お前ガ 好く。 ( You love me. )
 というふうに ふたとおりの意味を持ち得ます。つまりは 文脈で決まるかたちを採っています。
 つまりは 文脈とは 言葉をえらんだときに切り取って捨てた背後の《地》の世界です。
 という恰好において 日本文では なお《図と地との 明と暗との 主役と脇役との関係》が生きています。
 これは おれハ というそのハ格のはたらきです。こんにちハも 同じです。
 言いかえると 英文では このような主題提示をおこなう要素がほとんど無くなっている。
 主題をひとつ 世界の中からえらぶ。ということは その話し手たるわたしにとって世界がそのえらぼうとする主題において言わばユラギを起こす。わけです。
 このユラギが 英文ではすでに一本の論理〔的な意味内容〕として文を言い出す初めから主語なら主語として固定的に決まっています。
 日本文ではなおユラギを保っています。
 ヘラクレイトスがこのことを知ったら よろこぶかも知れません。それとも それは誤解だよと言ってやはり《暗いひと》になるのか。みなさん おしえて。

谷崎秋彦

§ 4 隠蔽と露呈 ―真理(アレーテイア(AΛHΘEIA))
p.54
ヘラクレイトスパルメニデスも、語ること(レゲイン)に先立つ、拾い集め拾い落とすこと(レゲイン)、すなわち、掬い取ることにおいて 喪うものに対面することを、求めている。


「目立たない結びつき」とは、現れが起こり得ること、レゲイン(拾い集め)において開けた場所が生起すること、と考えられる。
この開けた場所は、語られうる物がそこを占めるかぎり、直ちに埋められる。その場所は場所としては現れることはなく、むしろ逆に、場所が場所としては退いて、目立たなく なっているがゆえに、語り現されるものがそこに場をもつことができるのであろう。換言するならば、その開けは直ちに埋め戻される隙間である。 物によって埋められることによってこそ意味をもつ隙間であ
ろう。場所の開けは(すなわち、端的な「在り estin」は)、あらゆる存在者への語りかけに先回りし、語りかけを用意するがゆえに、いっそう高貴(強力)である。