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哲学いろいろ

信: saddha / pasada / adhimutti

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信 [しん]


仏教における信には代表的なものとして、サッダー(saddha、信頼、信奉、教義信仰)、パサーダ(pasada、浄信、満足)、アディムッティ(adhimutti、信解、理性的な信)[サンスクリットではシュラッダー(sraddha)、プラサーダ(prasada)、アディムクティ(adhimukti)]の三種が挙げられる。


それらがそれぞれ異なる語源と意味を持ち、それが中国と日本では一緒くたに「信」と呼び習わされているため、われわれは一般における妄信的信仰や信心とこの合理的立場とを混同してしまいがちになる。


岩波文庫ブッダの真理のことば・感興のことば』の注釈で、故・中村元氏は 「信仰=saddhA」 を指して、 「漢訳『法句経』に<信レ正>とあるように、正しいことを信ずるのである。これが仏教における<信>の特質である」 と述べている。また一方、仏教学者の故・玉城康四郎氏も指摘しているが、仏教における信は信頼・清浄・喜悦・満足・理解というようなさまざまな意味を混然としてそなえているといえる。
さらに詳しくは同サイト『掲示板の歴史/その一』の記事[No.38]を参照していただきたいが、岩波文庫『スッタニパータ』の註釈で、第一一四六節と一一四七節に訳出される 「信仰を捨てよ」 という割と有名なフレーズに見られる 「信」 の概念を取り上げて、中村氏は次のように述べている。
注目に値するので紹介したい。


一一四六 信仰を捨て去れ――原文にはmuttasaddho, pamuNcassu saddamとあり、[パラマット・ジョーティカーという]註釈は信仰によって解脱すると解する(saddhAdhimutto ahosi 'saddhAdhurena ca arahattaM pApuni, ......tato saddhAya adhimuccanto 'sabbe saMkhArA aniccA' ti AdinA nayena vipassanaM ArabhitvA)。しかし直訳すれば「信仰を解き放つ」であって、多くの訳者のように「信仰によって解脱する」と解することは、語法上困難である。


「信仰を捨て去れ」という表現は、パーリ仏典のうちにしばしば散見する。釈尊がさとりを開いたあとで梵天が説法を勧めるが、そのときに釈尊梵天に向かって説いた詩のうちに「不死の門は開かれた」といって、「信仰を捨てよ」(pamuNcantu saddham)という(Vinaya, MahAvagga, I, 5, 12. vol. I, p.7)。この同じ文句は、成道後の経過を述べるところに出てくる(DN. XIV, 3, 7. vol. II, p.39; MN. No.26, vol. I, p.169)。恐らくヴェーダの宗教や民間の諸宗教の教条(ドグマ)に対する信仰を捨てよ、という意味なのであろう。最初期の仏教は<信仰>(saddhA)なるものを説かなかった。なんとなれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。『スッタニパータ』の中でも、遅い層になって、仏の説いた理法に対する「信仰」を説くようになった。
ちなみに、saddhAという語は、インド一般に、教義を信奉するという意味で、多く用いられている。(四三〇頁)


一一四七 心が澄む(=信ずる)――pasIdAmi.


この詩及び前の詩から見ると、最初期の仏教では、或る場合には、教義を信ずることという意味の信仰(saddhA)は説かなかったが、教えを聞いて心が澄むという意味の信(pasAda)は、これを説いていたのである。


一一四九 奪い去られず、動揺することのない境地に――AasaMhIran ti rAgAdIhi asaMhAriyaM, asaMkuppan ti akuppaM avipariNAmadhammaM, dvIhi pi padehi nibbAnaM bhaNati (Pj. p.607).了解していること――adhimuttacittaM.


最初期の仏教のめざすことは、このように確信を得ることであった。(同四三一頁)
このように、同氏は『スッタニパータ』註において、最初期の仏教においてサッダー(教義の信奉)という概念は説かれず、あくまでもパサーダ(浄信)のみが説かれていたものとしている。


同様の記事としては同著で 「(八五三) 快いものに耽溺せず、また高慢にならず、柔和で、弁舌さわやかに、信ずることなく、なにかを嫌うこともない」(一八九頁) というフレーズに次のような註をつけている。


信ずることなく――na saddho(=sAmaM adhigataM dhammaM na kassa ci saddahati. Pj. p.549).この註解の文は「みずから体験したことがらを信じ、いかなる人をも信じない」と訳してよいのであろうか。西洋の訳者は 「軽々しく信じない」(not credulous, Fausboll; Chalmers)、「自信をもって厚かましくならない」(niemals dreist, Neumann)と訳している。しかしブッダゴーサによると、もっと徹底した合理主義の立場をとっている。自分の確かめたことだけを信ずるのである。いかなる権威者をも信ぜず、神々さえも信じない(Na saddho ti sAmaM sayam abhiNNAtaM attapacchakkhaM dhammaM na kassaci saddhati aNNassa vA brAhmaNassa vA devassa vA mArassa vA narassa vA brahmuno vA. MahN. p.235)。(三九一〜三九二頁)


このブッダゴーサによる訳注を垣間見る限りでは、やはり当時の仏教は「サッダー」を否定し、これに対してきわめて強い警戒心を持っていたようである。



中村氏は『サンユッタ・二カーヤII』でブッダが覚った際、世間の人々の様子を目の当たりに見て、梵天


「耳ある者どもに甘露(不死)の門は開かれた、[おのが]信仰を捨てよ」
という内容の詩句を告げた顛末を訳出しているが、同著訳注には次のように解説されている。
[おのが]信仰を捨てよ――ここの詩の原文は次のごとくである。
apArutA tesaM amatassa dvArA
ye sotavanto pamuccantu saddhaM/
vihiMsasannI paguNaM na bhAsiM
DdhammaM paNItaM manujesu brahma//(SN. I, p.138)(Vinaya, I.5. 12もほぼ同文)。


ブッダゴーサによると、sabbe attano saddhaM pamuncantu, vissajjantu(Spk. p.203)。当時の諸宗教に対する信仰を捨てよというのであろう。ところが漢訳(あるいはその原本――パーリ文よりも遅れて成立したらしい)では「聞者得二篤信一と訳して正反対の意味に解している(『増壱阿含経』十巻、大正蔵、二巻五九三ページ中)。つまり後世に仏教教団の威信が確立すると、信仰を強調することが必要となったのであろう。このような変化は、サンスクリット諸原典との対比によっても確かめられる。(三三六〜三三七頁)


氏は、榎本文雄氏の『華頂短期大学研究紀要』29(昭和五十九年十二月、一七〜十八頁)を引用し、極めて古いサンスクリット仏典である『マハーヴァストゥ』では「信仰を捨てよ」となっている箇所が、それ以後の典籍では「信仰ある者は喜べ」と改竄されてしまっていることを述べ、 「これらの対比から考えてみても、<信仰を捨てよ>と説いている『サンユッタ二カーヤ』第一篇の説は、最初期の思想を伝えていることは、疑いない」(同三三八頁) と主張している。

スッタニパータ全文:http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm