ねむねこファンタジー小説論
『シェリル』:http://nemuneko-gensokyou.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305499672-1
『セイラ1』:http://nemuneko-gensokyou.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305525663-1
『セイラ3』:http://nemuneko-gensokyou.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305481035-1
1. 文学とは ひとがいかに生きているかを描き示すものである。
2. 主人公を初めとする登場人物のひととなりを指し示し互いに(作者と読者あるいは読者どうし)その生活態度を広げ深めるよすがとする。
3. 生活態度が 思想である。
4. 登場人物どうしのあいだで それぞれみづからの持てる思想いっぱいにその考えを相手の差し出し示す思想に向けて応答する。
5. これはしばしば 《心理的》であって その時(一時的)その場(局所的)の問題に限られるという場合もあるが それでも文学は その人の人生におけるそのつどの《一回性》をあつかうことにおいて 実存的であることを目指す。
5. 人間が その人ひとりだけであるという存在である。
6. 思想が 生活態度に現われ それはひとり相手との対話の場合にのみ見られるとは限らない。たとえば 自然環界の中にあっておのれを表わす場合にも見られる。つまり自然描写にも 実存の姿が垣間見られる。
7. 大自然の内にいるわが存在については ピクニックに行ったときのシェリルの詩に見られる。
8. 人間と人間との――その時その場の一回性としての実存対決とも言うべき――対話は ジェラルドなる少年や《人物》でもあると思われるホトトギスの応答としての生活態度に見られる。
9. ホトトギスは どMだとも見られるが 女セイラのあらゆる姿勢や要求や扱い方にも おのれの思想を守ってふるまっている。ジェラルドは あらゆる人に向き合っておのれの変わらぬ思想を表わそうとする。
10. エルスロッドの《活躍》が いまひとつであるように見える。その思想が必ずしもはっきりしない。
11. シェリルは いちどエルスロッドから離れようとする姿勢を見せてもよかったのではないか。孤児であったあとのあらためての反抗期ないし親離れの問題。エルスロッドにむけて お父さん 大嫌いと言って(書いて)いるのは まだ甘えである。
12. また ジェラルドにも甘えている段階である。王女アンとジェラルドを奪い合おうとする場合 力の差にもかかわらずアンとけんかをすることをも避けないのが 一回性の実存ではないかと思われる。