caguirofie

哲学いろいろ

イの折れ(1)

§ 1 つかみ(序論)


 (1) あの何でも知っていて一を聞いたら百を知るねむねこ氏が 音韻の法則(傾向)について覚えていなかったので 再掲します。


 (2) クリスマスとも言うが キリストとも言う。ストライクとも言うが ストライキとも言う。セン(銭)とも言うが ゼニとも言う。(語頭子音の濁音化は 蔑み感を帯びさせる。サマ(様)>ザマ*1)。エン(縁)とも言うが エニ / エニ‐シ*2とも言う。――これらは外来語の語例であるが イの折れが見られる。


 (3) 《イの折れ》というのは 雪折れが 雪による柳の折れ〔がない〕を表わすように 音韻としての イ が語に介入して音韻の変化をおよぼすという現象です。イによる折れ・イへの折れです。なおこの イ は 或る‐イ‐は のイです。 こと・ものを表わすと見られています。


 (4) もう少し まづ外来語から見てみましょう。 

 ・ expert → エキスパート・エクスパート
 ・ excite → エキサイト・エクサイティング
 ・ saxophone → サキソフォンサクソフォン
 ・ sen 蝉 > zen / semi 蝉
 ・ ken 検 > kemi-su 閲す(調べる・経過する)
 ・ kan 簡 > kami 紙
 ・ ton 頓 > toN > tomi-ni頓に
 ・ pet 別 > betu/ beti 別
 ・ tek 的 > teki 的
 (漢語の発音表記は 粗いものです)。

 (5) ただしここで 細かい論点があります。序論の段階でですが その問題に触れます。

 キリスト これは christos なのですが 後に来る母音( -ris- )の口の形に先行する子音( ch- )が引きずられる よってクリストがキリストとなったに過ぎないではないかという問題です。


 (6) なるほど確かに リの母音のイ( chris- )にアクセントがあるから それにつられて クリ‐がキリ‐になったんだという。考えてみると あの細川ガラシャなる語の例がありました。Gratia あるいは Gracia でしょうか。これがたしかに次につづく音節の母音に引っ張られて ガラシャとなっている。glass もガラスになってますね。グラスとも言う。

 ・ Cristao > kirisitan キリシタン
 ・ ink > inki / inku インキ / インク
 ・ strike > sutoraiki ストライキ/ sutoraiku ストライク
 ・ ちくしょう(畜生) > チキショー
 
 みな 近接するイの音につられて出て来たに過ぎないであろうという疑いです。


 (7) それでは 次のような語例は どうでしょうか?

 ・ Englesch (蘭語)> Egeresu エゲレス
 ・ Ingles (ポルトガル)> Igirisu イギリス

 これらも 先行する母音のエやイに引きつられてそれぞれ同化して挿入されているようです。ちなみに エゲレシやイギリシには成らないのですね。
 ただし その反証をもただちに挙げておきます。

 ・ text > tekisuto テキスト / tekusuto テクスト
 ・ extra > ekisutora エキストラ 
 ・ sen 銭 > seN / zeni 銭
 ・ en 縁 > eN / eni > eni-si 縁(シは それ‐が‐しのシであろうと思われる)。

 テケストやエケストラやセネやエネには成っていない。

 
 (8) もう少し語例を探しましょう。

 ・ tan 丹 > tani-ha 丹波 > tanba 丹波
 ・ nan 難 > nani-ha 難波 > nanba 難波
 ・ on 隠 > oN / in( iN ) 隠 > oni 鬼
 ・ gun 郡 > guN 郡> kuni 国 
 ・ sam 三 > sami 三味線 ・sabu-roo 三郎
 ・ wang 王> oo おお / wani 和邇・丸邇・王仁
 ・ yang 羊 > yoo 羊/ yagi 山羊
 ・ yang 楊> yoo 楊/ yanagi 柳
 ・ pat 八 > hati 八
 ・ pat 罰 > bati/ batu 罰
 ・ pat 撥 > bati 撥
 ・ wet 越 > oti 越智/ etu / eti 越

 これらの語例では 子音の単独存在をきらってそこに母音を挿入するとき おおむねイの折れとして出来ている。つまり先行する母音につられて同化することをしていない。イのほうが 母音としてつよい。


 (9) つまり やはり《イの折れ》が 基調となっていると言おうとしているわけですが この際――のっけから回り道をしていますが―― 参考資料として次の事例をも引き合いに出します。

 サモア語における《イへの折れ》とおぼしき語例です。
 英語 > サモア
 ___________
 ・ pen > peni
 ・ machine > masini
 ・ salmon > saamani
 ・ satan > satani
 ・ spoon > sipuni
 ・ telephone > telefoni
 ・ spring > sipuligi
 ・ time > taimi
 ・ rabbit > lapiti
 ・ market > maketi
 ・ cricket > kirikiti
 ・ wheel > uili
 ・ mail > meli
 ・ knife > naifi
 ・ jeep > sipi
 ・ bus > pasi
 ・ Christmas > Kirisimasi

 例外として:-a または -e を添えるという場合がある。
 ・ newspaper > niuspepa
 ・ line > laina
 ・ wine > uaina
 ・ pin > pine

 * C.C.Marsack, Samoan Teach Yourself Books 1962 からです。
 * このサモア語のように 音節が 一子音+一母音( CV )のかたちを取るというのは 日本語と同じです。(イの折れとしての発音の傾向も似ています。語彙としては まづ似ていません)。 mail や knife を メールやナイフと作らずに やはりイの折れで メリやナイフィにつくるのは 違いが出ています。

 * なおただし sewing machine を日本語で マシンではなくミシンというのは マシーンのアクセントのあるシーの母音に引きつられての現象だと言ったほうがよいはずです。


 (10) こうして見てくると外から来た言葉を受け容れるときには発音があたかも佐渡佐渡へと草木もなびくというがごとく イへイへとなびくクセがあるようにさえ感じられます。つまり 近隣にイやエの母音がある場合はもとよりそうであるけれど 一般にほかの母音と隣り合わせても イがけっこう強く現われる。といった傾向です。この音韻法則――ひとつの傾向つまりクセなのですが――について考えて行きます。
 


 § 2 まだなお道草(序論の二)


 (11) たとえば 次の語例を見てみてください。

 ・ なは naha (縄) / なは-ぬ(綯は-ぬ) ∽ nahi なひ(綯ひ)
 ・ つか tuka (塚) / つか-ぬ(搗か-ぬ) ∽ tuki つき(搗き・突き)
   * つまり つか(塚)は 土を棒などで突き・搗き固めたもの
 ・ うた uta (歌) / うた-ぬ(打た-ぬ) ∽ uti うち(打ち)
   * これは 《思いをそのままのべる〔うた-かふ(交ふ)=疑ふ〕》と《瞬間的に物を物の表面に当てる》とで別だと大野晋は言う。
 ・ むか muka (向か-し=昔) / むか‐ぬ(向か‐ぬ) ∽ muki むき(向き)
   * 向か-し:心が思い出としてのごとく向く方向(シ)⇒昔。 〔ちなみに ひ-むか-し(日-向か-し(方向)=ひむがし>ひんがし>ひがし(東)〕。

 ここから読み取りたいことは 語末の母音の対照です。ここではすべて -a ∽ -i の事例ですが 語としては同じ意味の同じ語だとすれば 単純に言って その語尾の母音が交替しているかたちだという点です。


 (12) 作業仮説として初めに結論を提起します。ア終わりの語形から イの折れによって母音交替を起こし イ終わりになった。です。
 意味は ふたつあります。
 (あ) 形式としては 母音アが 同じく母音のイに交替した。つまり その意味で《強変化》を起こした。なは⇒なひ。
 (い) 内容としては ア語尾だと 言わば不定法である。これが はっきりと概念法のかたちのイ語尾形に活用した。
 すなわち 法は 気分のことでもありますから まだどういう気分でこの語を言おうかと決めていない段階を言うのが 不定法。
 中で むか(向か) muka の場合が よい例だと思われます。《方向を決めてそちらのほうを見るかたちで身を置く》といった意味はすでに決まっているが それをどんな気持ちで言おうかはまだ決めかねている段階。-ぬ(打消し法)を添えれば 否定法に活用したことになる。不定法(向か-)+打ち消し法(‐ぬ)=否定法。
 したがって イ語尾の むき(向き) muki となるとそれは はっきりとこの語を概念のかたちで表現しますよという気持ちが現われたことになる。イは 《こと・もの》を表わす語でもある。


 (13) だとすると ここで 強変化(=たとえばアからイへの直接的な母音交替)が出たので 弱変化(=間接的にイが介入する)についても触れたいところである。

 ・ なは naha > naha-i = nahä > nahe なへ(綯へ):条件法=已然形
  * すなわち 漠然と《綯ふ》という意味の語(=なは)にイの折れをほどこして なは-イ > なへ とすれば 何がしかの概念形となったのである。話し手の気分がそう決めたのである。そのときには 実際の言語史では 綯ふという動態が一たん確定したことを示すようになったもののようである。既に(已に)然りと言いたい気分である。=すなわち既定条件法。

 ・ むか muka > muka-i = mukä > muke むけ(向け):既成条件法=已然形
  * むけ-ば(向けば)のように -ば が添えられる。(この -ば については保留とします)。


 (14) -ば についてここで触れます。それは 不定法の むか muka が 日本語文法では 未然形と呼ばれて用いられるその用法に関係します。
   つまり 向か-ば とすれば 未定条件を示すはずです。《もし向くとすれば》の意。不定法ゆえ 《未定ないし未然》だというのは 納得できます。

   現代語では 未定か既定かの違いは 文脈や《もし》または《すでに》などの語の助けを借りて使い分けするだけであって 語のかたちは 既定条件法のものが用いられます。向け-ば が未定条件および既定条件のどちらをも表わします。つまり 向か-ば のほうはほとんど用いられていない。

    東風吹かば 匂ひ起こせよ 梅の花・・・

   というかたち 向か-ば と同じ未然形+ばの 吹か-ば は 吹か-む-は(吹くであろうコトは・吹くであろう時は) だと説かれます。‐む は話し手について言うときには 意志法で ほかのものについて言えば 推量法となる。-mu-ha(=-Fa) > -m-Fa > -ba といった変化であろうと。

   したがって この 未定条件法の −バを 既定条件法にも――これは単純に―― 用いたのだと推定されます。


 (15) まとめ:イの折れには 次のふたつの形式がある。

   強変化:母音がそっくり交替してしまうもの               muka > muki
   弱変化:母音はそのままにして イをつけ添えるもの(そこで融合を起こす)muka > muka-i = mukä > muke

   および 単独子音に イを添える場合がある。 色:シキ・ショク 食:ジキ・ショク


 (つづく⇒2015-03-28 - caguirofie

*1:ザマ:言葉は変遷をたどるもので 近頃は この濁音で始まる語でも よい意味に用いることがある。生きザマ は必ずしも蔑んでは言っていない模様。ザマァ見ろ は元々の意味。

*2:えにーしのシ:果てシない。誰れシも。《果てなどということもないがそれでもその果てがない・誰れと言って誰れということもないがその誰れであっても》のようにシ自体は不明・不確かな意味合いを持ちつつ 付く語に強めや鮮やかさの感じを添える。