caguirofie

哲学いろいろ

bragelone

うたの文字=一音が 四拍子において 《延ばし・縮み》をほどこされ 文字=一音のあとに《休み》が入れられる。

これは もしすでにうたが四拍子にもとづいて作られているのなら あまり頻繁に現われるのは ちょっとおかしい。

字余り・字足らずを どうにか四拍子に合わせようというのなら 分かる。

一句が五文字=五音であるかたちを 四拍子ゆえに定型としたというのは まだピンと来ません。

natural 2015/03/05 16:23

こんにちは。ぶらじゅろーぬさん。
「なぜ」、5と7か、と言われると気になる。


わたしが真っ先に思い浮かべたのは11月15日の「七五三」なんだけど、
>天和元年11月15日(1681年12月24日)に館林城主である徳川徳松江戸幕府第5代将軍である徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされる説が有力である。
:ということなので、わりと最近なんですね、始まったのは。


とりあえず、今日見つけたのはこれ。
http://www.osaka-ue.ac.jp/zemi/nishiyama/math2010j/oddeven_j.pdf#search='%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA+%E5%A5%87%E6%95%B0'


陰陽五行説から奇数は「陽」の数字で、
1や3だと足りなくて、
9は「苦」だから、ではいけませんか。
8ならいいのかな。末広がりっていうし。
6は、う〜ん。ろくでなし?


で、なぜ十二支×5の還暦祝いをするようになったのかと思って
調べてみた結果、
>中国の春秋戦国時代に起源を持つ賀の祝いが・・・
だそうです。


とりあえず今日はおしまい。
来週から仕事なので、明日は説明を受けに行きます。

bragelone

 そうですね。

  ○ 西山豊:奇数の文化と偶数の文化

 これはなかなか使いづらいですね。応用がむつかしい。
 というのも そこで取り上げられたのは おおよそ個々の事実だと思うからです。
 偶数と奇数との分けてその軽い意味での対立といった主題をしっかりと軸として論じているとは思いますが 世の中の慣習についてですよね。
 これを理論づけそこから問題の事態にあてはめてみようとすることは なかなかむつかしい。とは思います。


 日本でも昔は 4=よ と8=や とが むしろ聖数だったと言います。いよいよ(愈々)・いや‐さか(弥栄)と言ったり 例のスサノヲの歌では 八雲立つ 出雲八重垣ですし。
 よ( yö )と や( ya )とは 倍数として母音交替で表わされています。
 ひ( hi )∽ ふ( hu )も み( mi )∽ む( mu )もそうです。
 や(八)は 聖なる数とそして 数が多いことを表わしたはずです。八百万・八百屋。


 8(八)が 末広がりだというのは 漢字の八の形から来ています。

 というように節句の行事などについても ヤマト言葉が漢語に押されて行ったということもあると思います。

nyan_nyanko 2015/03/05 23:39

 こんばんは、bragelonne様、neutral様

 以下、失礼致します。



 以下の催馬楽に関する資料から、以下のように考えられました。


・七・五調にはなっていない(催馬楽篇(その一)から)
・”上代の民謡などを外来の唐楽の曲調にのせたもの”(goo辞書 催馬楽から)


参考:
 ○ 催馬楽篇(その一)
 http://homepage3.nifty.com/false/garden/kuden/saibara1.html

bragelone
最初のうたの例:かな文字数を入れました。
≪巻第十の催馬楽
(その十五)

 青柳
  青柳を 片糸によりて や おけや 鶯の おけや  : 5 8 1+3 8(5+3)
  鶯の 縫うという笠は おけや 梅の花笠や     : 5 8 3  8(3+5)

 (訳)
  青柳を 片糸にしてよって や おけや 鶯の おけや
  鶯が 縫うという笠は おけや 梅の花笠だよ


 ○ goo辞書 催馬楽
  http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/85680/m0u/

さいばら【催馬▽楽】

 平安初期ごろに成立した歌謡の一。
 上代の民謡などを外来の唐楽の曲調にのせたもので、笏拍子(しゃくびょうし)・笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・竜笛(りゅうてき)・琵琶・箏(そう)を伴奏とする。
 歌詞は律25首、呂(りょ)36首が残るが、曲は室町時代に廃絶、現在10曲ほど復興。


 ○古代の日本音楽
 http://jtrad.columbia.jp/jpn/history.html

雅楽

 さらに日本固有の古楽である神楽・東遊・風俗・催馬楽なども含んでいる。

神楽というのは、

 この場合宮中の御神楽をさし、

東遊は、

 元来東国の風俗歌であったものが宮中に取り入れられたものである。

風俗は

 言うまでもなく地方民謡としての存在であった。

催馬楽

 やはり民謡を源流にしたで、宮廷で歌われるようになって洗練されたものであった。


これらは純歌曲で、雅楽の管絃による伴奏が付けられて、朗詠と共に雅楽のなかに数えられている。


  一方、”今様”から、”梁塵秘抄”と”越天楽今様”を掲げさせていただきましたが、そこでは、七・五調4句になっていることが確認できました。


 七・五調になったのは、平安時代中期頃のように考えられました。


 ○ ”梁塵秘抄
  引用:Wikipedia 梁塵秘抄 から
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%e6%a2%81%e5%a1%b5%e7%a7%98%e6%8a%84

 ”遊びをせんとや生まれけん”
 「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。」
  8 5 8 5 7 5 7 5


 ”仏は常にいませども”
 「仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ。」
  7 5 7 5 7 5 7 5


 



 ○ ”越天楽今様(作詞:慈円)”
 春の弥生の あけぼのに      7 5   |はーるの|やよいの|あけぼの|にーーー|
 四方の山辺を 見わたせば     7 5   |よーもの|やまべを|みわたせ|ばーー○|
 花ざかりかも 白雲の       7 5   |はなざか|りーかも|しらくも|のーーー|
 かからぬ峯こそ なかりけれ    8 5   |かからぬ|みねこそ|なかりけ|れーー○|

                      * 越天楽今様 楽譜 http://www.mu-tech.co.jp/FirstSongWeb/print_score2.asp
 花橘も 匂うなり         7 5
 軒のあやめも かおるなり     7 5
 夕ぐれさまの 五月雨に      7 5
 山ほととぎす 名のるなり     7 5


 秋のはじめに なりぬれば     7 5
 今年も半ばは 過ぎにけり     8 5
 わが夜ふけゆく 月かげの     7 5
 傾く見るこそ あわれなれ     8 5


 冬の夜寒の 朝ぼらけ       7 5
 契りし山路は 雪深し       8 5
 心のあとは つかねども      7 5
 思いやるこそ あわれなれ     7 5



 まずは、取り急ぎ、ご報告まで。

bragelone

 たいへんありがとうございます。

 越天楽今様について 歌い方つまり四拍子の成り立ちを考えてみたいと思いました。

 7 5   |はーるの|やよいの|あけぼの|にーーー|
 7 5   |よーもの|やまべを|みわたせ|ばーー○|
 7 5   |はなざか|りーかも|しらくも|のーーー|
  8 5   |かからぬ|みねこそ|なかりけ|れーー○|


 つまり 
 (あ) 《はーるの》や《よーもの》のように延ばすのは 初めからあったのか?
 (い) 《・・・りーかも》というように 途中の《りー》として延ばしているのは 歌をつくったそのときから つけられた拍子なのか?
 (う) 五文字の末尾の一文字(一音)を延ばしている。四拍または三拍へと延ばしている。
 (え) これは 七文字が 一音延ばすところがあって 四拍x2の八拍(=2小節)になるその長さに合わせていると考えられる。
 (お) この五文字の延ばしは うたをつくるときから すでにそのように拍子を採ったのだろうか?
 (か) 七文字は 定型にするには 四拍子とも合って よさそうに思われる。
 (き) ただ 五文字は 四拍子にもとづいて定型として出来たかと言うと 必ずしもその必然性がないように思われる。
 (く) 六文字でもよさそうに思われるから。

 
 しろうとが納得行くためには このような疑問が解かれるとよいと思います。