caguirofie

哲学いろいろ

アポロンの生誕


 マエストロたすてん先生! 《ルルとミミ》よりも こちらに音をつけてください。
 母レトからの姉アルテミスとそしてアポロンの誕生またアポロンが異国ギリシャの地でみづからを確立するところまでです。
 小品としてよさそうに思うのですが。



Leto, Apollo & Artemis

Delphoi

   アポロンの生誕


 砂の海に
 立ち込めた
 陽炎が
 しなやかな身体を
 くゆらせ
 ボレロを舞い
 魔法使いの鏡の中で
 か細い腰を
 さらに細めながら
 昇天してゆき
 なおも激しく
 また登り始めたかと思うと
 異教の寺院で祈る
 娼婦のように
 長々と寝そべり
 半透明の捩じれを
 駄々をこねながらも
 あたり一面に散らして
 晴れ上がるとき


 虹色の南の風が立つとき


 一群れの鳥が
 はばたき始め
 次からその次へと
 一気に翔けのぼり
 うず高く浮かび上がり
 さらに翔けのぼり
 瀕死の陽炎を追いかけ
 ふたたび急降下し
 みたび舞い上がり
 チョコレート色の翼一杯に
 そよぐ風を浴びて
 砂の海を
 去ってゆく


 ひと群れの
 うずら
 初夏


 
 遊鳥の旅団は
 約束の地に向かう処女のように
 陽炎の去ったあとの
 ガラス張りの大陸に
 褐色の肌を晒しながらへばりつき
 自ら締めつけた喉の奥から
 γ線の叫びを叫ぶスフィンクス
 時の忘れ子スフィンクスらに
 今年も別れを告げて
 地球の斜角をよじ登り
 神々の住む
 オリュムポスの峰峰を目指して
 北へ向かい


 回帰への旅路をさまよう陽炎を
 やさしく両の手で包み
 その亡き骸を陽の神に捧げて駆ける
 南の風に 
 乗っかって


 アフリカに絡みつく
 ニルの大蛇が
 幾千の首を伸ばし
 重たい水煙を吐き出す
 焦げ付いた都を
 過ぎ去って


 踊り出てゆく
 大洋 
 地中海に




 海は 
 大蛇が静やかに注ぎ込む 
 ファラオの
 (ルクソールあたりの大遺体か)
 ファラオの
 しめやかな永劫の涙を
 ひと粒残らず飲み込んで
 怠けものの黄牛が
 反芻を楽しむ如く
 ゆっくりと
 自らの胎内を
 回遊している


 苦い輝きを発する
 オリヴの小枝を
 口にくわえ
 いくつもの
 色とりどりの乳房を
 軽やかに
 掻きくすぐってじゃれ飛ぶ
 白茶色の鳩が落とす
 五羽六羽
 八羽九羽の
 影を浮かべ
 青い肌の鏡面は
 初夏の陽光を浴び
 恥づかしげに
 輝き伸びている

 
 常にも増して大きな下腹部を
 南の風にやさしくさすられ
 過ぎ去った秋の 
 ゼウスとの恋を
 新たに偲び
 空を翔け
 空を翔けながら
 生まれ来る一羽
 そして多分もう一羽の
 雛鳥の前にしのび寄る危惧を
 そっと両の羽根で覆い
 覆いながら新たな不安に
 その子らの父の
 厚い庇護を祈る
 レト


 レトをまん中に
 渡り鳥の群れは
 オリュムポスの神妃ヘラ
 ヘラの嫉妬を思いやって
 顔を見合わせ
 見合わせながら
 五月の青を
 抜けてゆく


 五月の青を抜け
 はるか下に広がる鏡面の青に
 想い出を映し
 言葉の葉脈が
 まだその形を現わさないまま
 樹樹が
 熱い蒸気をささやく
  海原から伸び茂る昔を
 ゼウスがまだゼウスでなかった昔を
 映し
 卵巣の海に葦の小船を浮かべ 
 櫂を漕ぐ手に赤い戦慄を覚え
 たじろぐ身と溶ける心が
 ない混ざり
 深海のシレーネーを聞く頃


 ヘラの嫉妬は
 夫ゼウスの新しい恋人レトの
 レトの異国の肌の侵入に怒り狂い
 この陽の下にその混血の出生は
 ならぬと固く誓い
 喚き散らし
 異性と交わらず自ら産み落とした
 目にも鮮やかな巨龍ピュトーン
 ピュトーンを放ち
 世界の黄昏の地にまで
 遣わし

 
 神殿デルフォイの守護者
 ピュトーンは
 殺し屋の長身を引きずって
 海に浮かぶ大小の乳房を縫い
 のっそりと這い進み
 背の鱗粉に
 澄み渡った鏡面の
 まばゆいばかりの
 輝きを閃かせ
 ひっそりと上空を窺い
 季節の女神の
 はからいの中に渡り来る
 一羽の臨月のうずら
 待っている


 渡り鳥の恐怖は
 今静かに内から突きのぼり
 レトは
 海底を這い来る
 ヘラの潮流を
 素早く見届け
 湧き上がる優しさの
 捩じれを撚り戻し
 陽の神ののぼる地陸の
 褐色の血の前途を清め
 長音と短音の山並みに包まれた
 ギリシャの地平に
 覚悟を飲み込んで


 山々のクレータの
 35度を
 遂に越え


 のちの聖なる島
 デロスを取り囲む
 キュクラデスの
 小さな島々に
 さしかかり


 のちに東方のフェニキア
 王女エウロペ
 一頭の白牛に姿を変えた
 神々の神ゼウスの
 背に乗って
 里を去り
 青い海を渡るとき
 たどり着き
 迷宮クノッソスの王となる
 ミノスを
 産み落とす島
 クレータをうしろに


 のちに姿を消した
 エウロペを追って探す兄
 カドモスがたどり着く
 三日月模様の島
 テラをまえに


 突如 一撃の疼痛が走り


 のちにカドモスの娘
 セメレとゼウスとの子
 酒神ディオニュソス
 葡萄園を開く島
 ナクソスを通る頃


 月足らずの陣痛が
 激しく襲い


 はるか遠く
 半島ギリシャの先に
 細長く口を開けた湾
 エウボイアから
 島アンドロスの松林と
 島ケオスの果樹園の間の
 水門を抜けて
 近づいて来る
 一連の不気味な鱗光を
 見つけ
 黒曜石の島ギアロスの陰に
 逆鱗が隠れたとき


 ひと群れは
 音もなく 
 隊を崩し
 南の風に
 身重のレトを包み
 そっと
 白い島ミュコノスの
 太陰暦のなかに眠る
 小島デロスの分島
 オルテュギアに
 降ろした 


 うずら(オルテュックス)島


 増進した疼痛を引きずる心のどこかを
 そこに吸い込まれる気にさせる
 紺青の海に囲まれ
 その波ひとつない水面に
 いまにも飛び込みそうな絶壁と
 不毛の丘陵のほかには
 ないオルテュギア
 島を実を結ぶことなく
 見渡して
 岩陰に下りると
 すぐに母体を離れ出た嬰児
 アルテミス


 姉アルテミスは
 見る見るうちに
 山の端からのぼる月のように
 満ち
 石苔の褥の母レトを伴い
 満潮の力を力として
 オリヴの鈍い色に映える
 明晰の島
 デロスを目指し
 海の狭間を
 渡る


 その淡い緑白の花が
 ――二つのとがった嘴の
 両頬を潤わせることに――
 歓待の香りを放つ
 小森のなかに
 生い茂るオリヴの
 木陰に
 急をしのぐ


 一組の母子の発する
 クウェッ クウェッという叫びは
 それぞれひと塊の礼砲となって
 一羽の神の生誕を
 傷むように祝うように
 小森を舞い上がっては落ち
 紺碧に鋭く穴をあけ


 弾痕が
 やがて茜色に染まり


 遠く山腹に聖域をたたえた
 パルナッソスの山々に
 夕焼ける陽塊が入り
 勢いを増して
 あたらしい現出を痛む
 夜を明かし
 昼を過ごし
 夜を送り   
 光明がななたび・やたび
 南の至点を駆け
 さらに一夜が明け 
 背後には石筍と石鐘乳が芽を吹く
 キュントスの山を従え
 オリヴの小森の果てる海辺には
 母と娘には
 故里を想い起こさせる
 なつめ椰子の群れを飾り
 キュクラデスの漁民が作り上げた
 白い獅子像を配置して祝う
 デロスの島に
 生まれ来る一羽のうずら
 ペルソナを捩じる
 九日の動転と
 九夜の反転の後
 姉アルテミスの見守る
 母レトの傍らに
 巨神太陽の射る第一の矢を受けた
 赤い肌のアポロン
 七ヶ月の早生児




 生誕を待ち受け
 地中海にひとり
 浮きさまよって来た
 島デロスには
 二対の三柱
 南の風をもたらす 
 序と義と和の季節の女神と
 糸を紡ぎ・分け与え・断ち切る
 運命の女神との母テミスが
 見守り
 海神ポセイドンの妻
 アンピトリーテーが
 オリヴの森を揺らす
 微風を運び
 父なる神ゼウスの母神
 レアが駆けつけ


 まだ見ぬ歓びの中に
 取り上げ
 異国の水を注ぎ
 麻布の純白に包み
 紐の黄金で結び
 結ばれたアポロン
 養母テミスのもとに
 運命の女神
 クロートの紡ぐ 
 ネクタールを飲み
 ラケシスの分け与える
 アンブロシアを食し
 四日目の朝が訪れるとき
 竪琴と弓矢を取って
 立ち上がり
 祖母たちの愛の豊饒の中に
 対象のない恐怖を覚えた
 己れを掻き鳴らし
 打ち放ち
 子午線をひとり
 北へと向かう


 ピュトーンの鱗粉に揺れる
 鏡面を下に見て
 琥珀の道をたどり
 未踏の回帰線を跨ぎ 
 北の風のかなた
 凍河エーリダノスの流れ込む
 極洋
 白い夜の国へと



  そこは昼も夜の国だった。
  谷合いの橄欖が香りを そして 遠くの入江が潮風を かろうじて流し込んでいるが 谷にはいつも深い霧が湧き立ち 背後の山は 裸岩ながら険しい鉄面皮をさらしており 陽炎の国とは そして 周囲の地平とも まるで 隔絶された小宇宙だった。


  竪琴を一本 鳴らすと 陰画紙のなかであえぐ愛のように 闇のとりもちに引っかかって 怪しげな死を死んでしまう。
  ここが デルフォイだった。


  神域は 断崖の一角 斜面の急にこびりついている。よく見ると 双つの鈍い赤の岩壁は 獲物を前にした龍が揉み手をする双舌を想わせた。岩壁の赤や 裸山の褐色や 下方の濃緑が 空のはやした霧の鬚の透き間を漏れる光線に映えている。
  プルルンと 地球の臍に立って アポロンは また ひと鳴らしした。かつてゼウスが地球の両端から二羽の鷹を飛ばして それらが落ちあったところが この地だと言う。その民族の中心が固まって生まれたピュトーン。
  異邦人アポロンは この巨龍と戦わねばならないと思う。
  地球のへそに立って プルルンとかき鳴らすと 三つになったアポロンは 魂がかすかに弾むのを感じ 弓矢を握る手に力がはいった。奉納や宝物殿が軒を連ねる神域を静かに歩いていった。
  霧の障子がかすかに開いて 外の世界が見え隠れするなかに いま登ってくる途中 背の羽根を清めて来たカスタリヤの冽泉が光っている。
  きらきら光る泉の岸にも 臍から湧き上がる大地の岩漿が取り巻いており 岩漿は 谷合いを流れる小川のせせらぎの中にも 間歇的に障子をたたく西の風の音の中にも 地霊の呪文をささやいている。

  
  山を巻いて登る小径を進むと 岩陰に怪しい窪みが見え その中から大地が息をする噴気が上がっている。母レトの話すには デルフォイの巫女たちは 聖なる裂け目と呼ぶこの岩陰で 湧き上がる灰褐色の噴気を吸ってそのペルソナを脱ぐのだと。地霊の吐く言葉を着るのだと。この噴気こそ ピュトーンの息の根にほかならない。
  片方のサンダルを脱いで 進んで行った。


(完)