caguirofie

哲学いろいろ

ねむりねこ 2015/02/12 02:35 on 量子性の世界と・・・

何やら、OKwaveで、
面白そうな議論をしているようで。


人間の心が脳というコンピュータによって作られているのであれば、
まぁ、
人間の心は量子力学に従っているということになるのでしょうね。
脳の神経細胞は電子の授受などで情報交換を行ない、情報処理・計算しているので、量子力学の適用範囲となる。
そして、
大勢の人間の心から構成されている社会も量子力学に従っている、ということになる(笑)。


量子力学人間機械論、量子力学的社会論。


量子力学は確率論なので、ヒトは量子力学サイコロを振って選択している、意思決定しているということになる。
サイコロのどの目が出るかという確率は事前に決まっているけれど、どの目が出るかは実際に振ってみないと分からない。
我々は自由意志を持っていると考えているが、
実は、
この確率が分からない、さらに、実際にサイコロを振ってみないとサイコロの出目が分からないから、
自由意志を持っていると思っているにすぎない。

量子力学人間機械論は、このようにして人間の自由意志を説明するのでしょうね。


しかし、だから何だ。
その確率を実際に計算してみろ。
そして、
計算したとおりの確率でヒトは行動しているのか。
できないだろう。


それにだ、
相互作用という分かるようで何だか分からない新たな神を作って、誤魔化しているだけではないのか。
違うというのならば、
その相互作用とは何だ?
どのようなメカニズムを有しているのだ?
結局のところ、「神の見えざる手」のようなものを相互作用と呼んでいるに過ぎないのではないか?
ヒトとの交わりとかを「相互作用」と呼んでいるだけじゃないのか?

bragelone 2015/02/12 09:28

 ねむねこさん ありがとうございます。


 これは 分かりやすい。《自由意志》の自由たる所以が分かりやすく説明されているように感じました。
 《相互作用》と呼んだ神のもとに意志自由が発揮されるというかたちは 変わらないと。


 ただしです。ただし もし自由意志が 生まれつきの自然本性としてみとめられるのなら 量子性の世界とマクロの世界とは 素材なる基礎領域でつながっているとしても 実際のところそのつながり方は まったく何の制約をも持たない・・・とすれば 切れていると言っても同じことになるような。・・・


 言いかえると もし量子力学の世界が ふつうの日常生活の世界と《直接に》つながっていたとしても けっきょく《確率》があらゆる可能性を持つときその可能性の選択は まったくその人間の自由になっている。のかどうか。


 ・・・???????・・・

ねむりねこ 2015/02/12 15:47

私はこのような立場、考え方をとりませんが、
量子力学人間機械論は、
「原理上は計算できる。ホニャララをする確率という形で、人間の選択できる選択肢をすべて示すことができる。しかし、計算量が天文学的量で実際には計算できない」
というところに問題がある。
ですから、
こうした考えが正しいかどうか分からない。
つまり、《(計算)技術的不可知論》と呼ぶべきものになってしまう。
そして、技術的に不可知だから、不可知の部分については、正しいかどうか分からないから、何とでも言える。
そして、p氏は、彼自身気付いていないと思いますけれど、この《技術的不可知論》を根拠に、科学的な言葉をちりばめ、もっともらしく聞こえるホラ話をしているに過ぎません。
反証可能性》がないので、何でも好き勝手なことを言うことができる(^^ゞ


しかも、
量子力学の世界は確率の世界なので、サイコロの出現確率は事前に予想できるけれど、
出る目は実際に振ってみないと分からない。
また、先行する事象とそれに引き続いて起こる事象が、どのようにして起きたかは分からない。
と言いますか、量子力学はこうしたことを問えない理論なんです。
「たまたま、偶然、そのようになった」としか言えない。
そして、
この「たまたま」を自由意志の根拠にする哲学者がかつていたようですし、
そして、
現在にもこういうことをいう哲学者、科学者もいます。
p氏は、こうした《量子力学的不可知》も積極的に使っている。


結局、彼は不可知論者なんですよ。
そして、
彼自身の不可知論に基づき、《ヒモ》だ、《相互作用》だという物理学用語をちりばめ、これを神の如く崇め、ヒトを幻惑する。
ただ、それだけのヒト。
そして、
彼は、何かを語っているようで、実は、何一つ語っていない。
この事実を、彼自身は気付いて、い・な・い。


不可知論だから、まともに相手するのは時間の無駄。
しかも、「これはどういう意味ですか?」と質問しても、返ってくるのは回答文に書いてあることを少し言い換えただけのもの。
バカの一つ覚えのように同じことを繰り返して言うだけ。
こちらの問いかけに対して、違ったことを言える《アルケ〜・バカ》の方が救いがある(^^ゞ


☆実際のところそのつながり方は まったく何の制約をも持たない・・・とすれば 切れていると言っても同じことになるような。・・・
◇互いに話をするなどの交流(音声などによる直接的物理的相互作用)がなければ、実質、切れていると考えていいでしょうね。
ただ、物理的環境は互いに作ったものであり、そして、この多くは共有しているので、こうした物理的環境からの直接的な影響は受ける、
となるのではないでしょうか。
ですから、
その意味では「切れていない」ということができるのではないでしょうか。


自由意志の根拠を量子力学的確率に置こうが、結局は普通の考え方になってしまう。
ならなければ、量子力学は間違っている!!


☆ 言いかえると もし量子力学の世界が ふつうの日常生活の世界と《直接に》つながっていたとしても けっきょく《確率》があらゆる可能性を持つときその可能性の選択は まったくその人間の自由になっている。のかどうか。
◇〜〜〜〜〜〜
また、先行する事象とそれに引き続いて起こる事象が、どのようにして起きたかは分からない。
と言いますか、量子力学はこうしたことを問えない理論なんです。
「たまたま、偶然、そのようになった」としか言えない。
〜〜〜〜〜〜〜
この部分の話になってしまうでしょう。
量子力学は確率つきで選択肢のすべてを示すことができるけれども、
何故、それを選択したかについては、その人の《気紛れ》としか答えようがない(^^ゞ


それにですね〜、
こうした量子力学的確率を計算するには、ある時刻の宇宙のすべての状態を知らないといけない。
神さまでもないと、こんなことはできない。
しかも、
神さまでさえこの状態を知ろうとすると、
この知ろうとすることで世界の状態が変わってしまう。
観測するという行為が世界の状態を変えてしまう、確率すら変えてしまう(笑)。


さらに言いますと、
宇宙は無数とも言える粒子の集まりであり、
こうした系では、系全体で考えると、マクロ的に考えると、
ほとんど決定論的な振る舞い、その系の平均的な振る舞いをするんですよ。
脳も圧倒的多数の粒子からなる系なので、量子力学的な平均の振る舞いをするはずであり、
実際のところ、
粒子一つ一つの勝手気ままな振る舞いなんて考えなくていいんですよ。
ですから、
そもそも、
量子力学は自由意志の根拠にならない(笑)。


量子(統計学)的人間機械論は、古典的な人間機械論と同じものになる!!
ならなきゃおかしい。
そして、これは極めて硬い決定論になってしまう。
硬い決定論が自由意志と両立できないのは、ご存知でしょう。


こんなところですかね。


ですから、
p氏とまともに議論するなんて、はっきり言って時間の無駄だと思いますよ。
彼は《アルケ〜バカ》よりも、はるかに高い《バカの壁》の持ち主なんで。


以前、
東大理学部化学科出身の理学博士の肩書きを持つsum-docさんとかいう人が、
とある質問の回答でp氏を気印呼ばわりしていましたけれど、
理系出身者のほとんどが口にはしないだけで、
「こいつ、逝っている」
と思っているんですよ。
ddt^3さんもそう思っている」と思います。

bragelone 2015/02/12 16:07

 ふうむ。
 ◇ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 結局、彼は不可知論者なんですよ。
 そして、
 彼自身の不可知論に基づき、《ヒモ》だ、《相互作用》だという物理学用語をちりばめ、これを神の如く崇め、ヒトを幻惑する。
 ただ、それだけのヒト。
 そして、
 彼は、何かを語っているようで、実は、何一つ語っていない。
 この事実を、彼自身は気付いて、い・な・い。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ☆ これをもっと早く言ってくんなきゃあ。


 その内容としての結論じたいは でーでーてーさんや ok9608 さんからすでに聞かされていましたが なかなかすっきりしませんでした。


 あとは pくんに その真実を知らせるかどうかだけです。壁があるから 無理だともいうことですね。


 自然科学って 限界があるようなんですか。つまり 未知や不可知だけではなく 非知を言わずとも アマテラス普遍語による世界の認識は 必ずしも正解ではない。といったようなかたちにおいて。


 p 氏との対決は これで最後だと予感していました。あんがいピンと来たものでした。(これは 自慢にはならない性質のことですが)。


 一件落着。だんけ・しぇーん。