caguirofie

哲学いろいろ

plapota

新世界訳は英語からの重訳なので、注意が必要です。

bragelone

あっ そうか。和訳が 英訳からの重訳だということですね。

つまり 英訳は 組織の中に聖書翻訳部があって 証人たち(学者・研究者)がヘブル語・ギリシャ語から訳しているのだと聞いたことがあります。


そう言えば思い出しました。アイオーンを 何だか 複雑な表現で訳していました。
つまり日本語訳として何でしたかね 社会の組織体制とか。世界の社会体制とか。あぁ わすれてしまいました。

新約聖書〈1〉マルコによる福音書・マタイによる福音書

新約聖書〈1〉マルコによる福音書・マタイによる福音書

新約聖書〈2〉ルカ文書−ルカによる福音書 使徒行伝

新約聖書〈2〉ルカ文書−ルカによる福音書 使徒行伝

最後のイエス

最後のイエス

佐藤研氏のイエス

http://cafemdr.org/RunRun-Dairy/2012-2/MDR-Diary-20120716.html

佐藤研(さとう みがく)先生は、聖書学者かと思っていたが、同時に稀有なる文学者でもあった。最新刊の「最後のイエス」(ぷねうま舎)という本が出た。書店の宗教書のコーナーで見つけて、嬉しくなって即買った。

 先月、東京バロック・スコラーズのカップリング講演会をどう進めようかという打ち合わせでお会いした時、ちょうど原稿を書き上げて編集者に渡したところだとおっしゃっていた。そのためにここのところずっと根を詰めて仕事していたので、今は晴れ晴れしているともおっしゃった。
「どんな内容の本ですか?」
「イエスの本です。三澤先生ね、抵抗あるかも知れませんよ。なんだ佐藤はこんなこと考えているのかなんて、怒るかも知れません」
「そんなあ・・・・僕は、大抵のことには驚きませんよ」

 ところがそんな僕でも、冒頭「アリマタヤのヨセフの話」を読んで、あっと驚いてしまった。同時に、学者なのにこんな風にファンタジーをふくらませてしまっていいのだろうかと、ちょっと他人事ながら心配してしまった。とはいえ、抵抗はなかったし、当然怒りもしなかった。
 何故なら僕だって、聖書の中のマグダラのマリアに関するわずか数行の記述から、3時間もかかるミュージカルの物語をでっち上げたわけだからね。いや、僕が驚いたのは、むしろ佐藤氏はなんて僕と似ていることかと思ったからだ。

 ネタバレしてもいけないのだが、小柄で間もなく還暦を迎えるエルサレム最高法院の議員アリマタヤのヨセフには、気心の知れた妹がいた。その妹のひとり息子がイスカリオテのユダなのだという設定だ・・・・・おっとっと、もうこのくらいでやめておかなければ・・・・・ご存じだとは思うが、アリマタヤのヨセフとは、十字架に架けられたイエスの遺体をピラトに願い出て、自分の所有する墓に葬った人だ。

 でも、この本の冒頭、中央、おしまい近くの3個所にちりばめられたこのようなびっくり仰天の創作物語以外は、しごくまともな、というか、いつもの佐藤先生の、危機や悲劇あるいは負い目といったマイナス的要因を突き抜けて、人々の救済に向かおうとするイエス像が、論文調でありながらやさしく噛み砕くように説かれていく。

 要するに、とても佐藤先生らしい本である。ちなみに僕は、どうにも我慢出来なくて、この3つの創作物語を最初に全部読んでしまってから、本論に入っていった。それは、もしかしたらシュークリームの中のクリームを食べてしまってから、シューを食べるようなものでしょうか?あるいは小倉トーストのあずきの部分だけ食べてから、パンを食べるようなものでしょうか?どっちにしても佐藤先生の意図とは違うような気がするが、まあそれはお許しいただいて、まだ途中までしか読んでいないからはっきりしたことは言えないにしても、巷で説かれている従来のイエス像とはかなりかけ離れた、新しいイエスがそこに描かれているような気がする。

 それにしても思ったのは、佐藤先生の文章が人を惹きつけるのは、彼が書いていることが聖書学者らしくないからなのだ。これは批判であるどころか立派な褒め言葉だからね。僕たち聖書学に関してのシロウトは、学会報告のような中立的な話を聞いても、早い話、面白くもなんともないんだよね。特に、
「これこれについては、こういう説が一般的だけれど、こういう反論もあって決着がついていません。すなわち、こうもああも考えられます」
と言われても仕方がないんだよ。それよりも、芸術の世界に生息している僕なんかは、
「人がなんと言っても、オレはイエスの真実をこう理解するんだ!」
と熱く語ってくれる方がどれだけ説得力があるかと思うんだ。その点では、佐藤先生はかなり踏み込んでいるよ。
 たとえば序章からして「イエスの負い目」というタイトルで、イエス自身が、実は様々な人生の負い目を抱えていたこと、それが逆に彼の活動への情熱の原動力を作っていることに触れている。ね、これだけでもかなり画期的でしょう。

『最後のイエス』(佐藤研著)についての感想ー内と外を分ける発想に潜む危険性

http://oklos-che.blogspot.jp/2012/08/blog-post_7.html




Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie