caguirofie

哲学いろいろ

うら(裏・内・心)

  1. うら-いし(良好)> うれし(嬉しい)
  • うら-いたし(痛し)>うれたし(慨し:憎らしい。いまいましい。嘆かわしい。「―・きや醜(しこ)ほととぎす今こそば声の涸(か)るがに来鳴きとよめめ」〈万・一九五一〉
  • うら-やむ(病む)>うらやむ(羨む)
  • うら-み(見)>怨み
  • うら-がなし
  • うら-さびし

yV の母音交替 ∽ yi (い)

  1. よし(良・好・善) ∽ い( yi )し(良・好)
  • よね(米) ∽ い( yi )ね(稲)
  • ゆく(行く) ∽ い( yi )く(行く)
  • や(矢) ∽ ゆみ(弓) ∽ い( yi )る(射る)
  • ゆゆし(忌々し) ∽ い( yi )み(忌み)

vigil

Middle English vigile (“a devotional watching”),
from Old French vigile,
from Latin vigilia (“wakefulness, watch”),
from vigil (“awake”),
from Proto-Indo-European *weg- (“to be strong”).

Related to vigor, and more distantly compare vis and vital,
from similar Proto-Indo-European roots and meanings (lively, power, life), via Latin.
For use of “live, alive” in sense “watching”, compare qui vive.

éveiller

From Old French esveiller < Vulgar Latin *exvigilare,
from Latin evigilāre, present active infinitive of evigilō.*




 ◆ また、十分な知識を持っていないことや、理解が行き届いていないことについて、推測や思い込みで見解を書きたくはありません。
 ◆◆ (【Q:トロイの木馬】回答№1) ぶらげろさんとねこさんは、まだ老荘の議論をしています。私はもう行きませんが、老荘に関しては、ねこさんと同意見です。
 ◆◆ (同上;回答№14)  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 「道」が「非知」であるかどうかは微妙なところでしょう。知覚ではとらえられないもので、ゆえに名づけられないものとしています。知覚を超えたところで「道」を知ることはできるという解釈はあるようですが、「サトリ」とは違うような気がします。
 
 それよりも、うっちゃっておけばよい、とおっしゃらず、少しお読みになった方がよいです。このサイトの回答欄では書ききれません。儒教老荘の前には、シャマニズム的、マニ的信仰があって、その対象は「天帝」という自然神です。儒教老荘には、政治的ないきさつや、勢力争いもありますし、三国時代以降は、仏教も絡んだ三つ巴の抗争に入ります。中国史まではとても手が回りません。質問が立ってから調べるよりも、先に知ることから始めた方がよいです。コメントが来るたびにまたまた調べるのはなかなかしんどいので。
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 ☆☆ (同上;回答№13) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 《日本的霊性》と呼ぶのは 《反自然としての人為= 作為》をすべて――自然としての人為とともに―― 一段高いところに揚げて棄てるという作業を経たあとのやはり《非知》の問題として指し示そうとするものです。

 人間の存在の内にあっては――自然本性を超えたところとも 自然本性にそなわったものとも見られるような――《非思考の庭》として定義されるべきものです。《非知》をわが心に受け容れたときに成る信仰の動態です。

 信仰というからには 理性と感性とを超えています。超えた庭で 生まれつきやどしているという言い方においても 捉えられます。要するに アートマン(霊我)≒ブッダター(仏性)≒ルーアハ(霊)≒・・・。