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哲学いろいろ

タオイズム

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie
もしタオ(大道)が有効であったなら その世界からどうしてその無為自然なる生き方を離れるたとえば儒教なるオシエが出て来たのか?


なぜタオ(道)をうしなったのか?
これに答えられなければ 意味がない。


すくなくとも
はじめ(アルケー)を設定する行き方は――当否・是非を別として―― おそらくわがシントウとは違った道であろう。


親鸞は アミターバ・ブッダなる初めを想定する理論(観想)をそれはそれとして一たん捉えておいて その理屈からは離れた地点に立っている。そこが シントウとの共通性。あるいはつまり もともとの日本的霊性として おなじ場である。


まだ次の仏家のほうが わがシントウに近い。

【大道無門】

http://www.weblio.jp/content/%E5%A4%A7%E9%81%93%E7%84%A1%E9%96%80
大辞林
〘仏〙 仏道には一定の入り方はないということ。


世界宗教用語大事典
禅語。大道は仏法のことで、それを学ぶには特定の方法(門)はなく、ただその志さえあればよいとの意。

タオ自然学

『タオ自然学』(1975)は冒頭の《コズミック・ダンスへの招待――前がきに代えて》で美しく叙述されているように カプラ(1939ヰーン− / カリフォルニア大学・高エネルギー物理学者)自身の晩夏の海辺での体験から生まれたものだ。

 その体験とは神秘主義的な直観ともいえよう。彼は夏も終わりに近いある午後 海辺に腰をおろして寄せてくる波を見つめている時に 自分をとりまくすべてのものが壮大なコズミック・ダンスを舞っているのを観た。それは外的世界ばかりか 自分の体の原子までもがエネルギーのコズミック・ダンスを踊っているのを感じ その音までも聴こえてきた。そして その時 カプラはこのダンスがヒンドゥー教徒の崇拝するダンス神シヴァのダンスであることを識った。

 この外的世界と内的世界の神秘的一致の心像から『タオ自然学』は生まれた。この体験に先立つ数年間 カプラは高エネルギー物理学の研究活動と東洋の神秘主義的な教えに心惹かれる自分の思惟との間の内面的矛盾に悩んでいた。『タオ自然学』はこの両者のギャップを克服するための書だったのである。


『タオ自然学』をひもとけば分かるように この本は素粒子の相互作用 つまり高エネルギー物理学における素粒子の衝突過程に起こる様々な粒子の生成・消滅の状況が精細に紹介されている。こうした静かなるエネルギーの滝(カスケード)は 宇宙線の観測において捕捉されるものだが 現在では地上でも高エネルギー研究所で実験的に再現可能になってきた。

 カプラはこうした実験で明らかになった知見をまとめつつ これらの事実が西欧物理学の支配的な見解である基本的構成要素の存在に対する不可疑な確信を根底的に揺るがすものをもつことを主張する。運動エネルギーと質量は交換可能であり 粒子は物体でなく過程なのであり 宇宙の全事象はことごとくたがいの自己調和によって決定される。この視点が東洋神秘思想の強調する全現象の合一性と相互関連性とにきわめて近い考えであることは明瞭である。

 カプラは老子の一節: 

  人は地を規範とし
  地は天を規範とし
  天はタオを規範とし
  タオは自然を規範とする

 を引用している。現代物理学の最前線の研究がタオイズムの教義と共鳴している事実は この引用句でもはっきりと示されているといえるだろう。

 (矢代梓:タオ  in 今村仁司編:『現代思想を読む事典』 1988 pp.411−412)
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