caguirofie

哲学いろいろ

 ▲ さとりの内容〔は〕・・・帰するところは同一である。
 ▲  〜〜〜〜〜
 〔すなわち〕 既成の信条や教理にとらわれることなく、現実の人間をあるがままに見て、安心立命の境地を得ようとするのである。
 それは実践的存在としての人間の理法(dharma)を体得しようとする。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
 ☆ もしこうであるなら 
 ▲ 仏教そのものは特定の教義というものがない。
 ☆ とは 結果としては 言えない。やはり 特定のオシエがあると言わなければならない。

 ところが その《さとり ないし 知恵》は決して自明ではなく けっきょくはっきりしない。
 
  ○ 《人間の理法》を体得しようとする。

 というのは そのダルマについて 人間の言葉では表わせないと言っているのか? それとも 表わす努力はあり得るとし その成果も得られていると言うべきなのか? これも 決して自明ではなく むしろきわめてあいまいである。

 ▲ 安心立命の境地 / 実践的存在
 ☆ こういった規定は 何もブディズムでなくても 一般に用いられているものである。

 よって こういった解説は 説明し得たと思っているとすれば 大ばか者である。

 《ブッダのさとり》とは けっきょくペテンであった。ということのほうが よっぽど学問的良心に富んでいると思われます。


 

There are many remarkable analogies between Pali and Ardhamagadhi (Half Magadhi), an old form of Magadhi preserved in ancient Jain texts. Ardhamagadhi differs from the eastern Prakrit of Ashokan inscriptions on similar points as Pali. For example, Ardhamagadhi too does not change r into l, and in the noun inflexion it shows the ending -o instead of the eastern Prakritic -e at least in many metrical places. This similarity is not accidental, since Mahavira, the 24th Tirthankara of Jainism, preached in the same area (Magadha) as Gautama Buddha.

 ○ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 パーリ語とアルダマガディ語とのあいだには 明らかな類似が多くある。

 アルダマガディとは 語義として《半マガディ》という呼び方なのだが それは ジャイナイズムのふるい文献に用いられているマガディ語の古形のことを言う。

 アルダマガディ語は アショーカ時代の碑文などが書かれた東部プラークリット語とも異なっている。そしてその異なり方は パーリ語が東部プラークリット語と異なるのと 同じような点(言語事項)において現われるのだ。
 
 たとえば アルダマガディ語も パーリ語と同じように 《 r 》の《 l ( L ) 》への変化を採り入れていない。
 あるいは 名詞の活用において 東部プラークリット諸語が -e なる語尾を採るところで そうではなく -o なるかたちを採っている。つまりそれは 少なくとも脚韻を踏むべきところにおいて 多くの場合に見られるのだ。

 このパーリ語とアルダマガディ語との類似性は 偶然に成り立ったものではない。というのも ジャイナイズムの24代宗長(*)であるマハーヰーラは ガウタマ・ブッダと同じ地域(マガダ)でオシエを説いたのだから。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 * Tirthankara:宗派の指導者のことか(?)

 ○ tirtha : ascetic (苦行者・修道者)
http://spokensanskrit.de/index.php?script=HK&beginning=0+&tinput=tIrtha+&trans=Translate&direction=AU 

 ○ tirthatama : object of the highest sanctity (至高の聖性たる者)
 ( -tama は最上級を表わすもののよう。ガウ-タマと同じく)。
 http://spokensanskrit.de/index.php?tinput=tIrthatama&script=&direction=SE&link=yes

 ○ tirthakara : creating a passage (草分け); head of a sect (宗派の統括者)
 http://spokensanskrit.de/index.php?tinput=tIrthakara&direction=SE&script=HK&link=yes&beginning=0