caguirofie

哲学いろいろ

ガミガミ/アース

 なちゅらるさん。こんばんは。

 ★ 〜〜〜〜
 >たまたま「アース役」をしている人は
 「アース役の【さらなるアース】」を探せば
 「【さらなるアース】(流すところ)」は
 いくらでもあり・・・・・

 それを見つければ、
 すでにアース役御免でしょう。
 〜〜〜〜〜〜〜
 ☆ これは 違うんです。
 初めに受け持った(?)アース役も 相手との関係がつづくのならば 存続しているでしょうし あとでガミガミ役になったその役もそれとして生じています。
 最初の《ガミガミ電波》が G1から E1へ E1=G2からE2へ E2=G3から E3へ・・・というふうに同じ電波として順番に送られて行くのではないと思います。
 G1→E1のデンパは それとしてあり E1=G2のデンパは やはり別にそれとして起こすものです。
 一人ひとりが 発電し放射しているということだと見ます。

 ですから――と言いつつ こちらの見解を勝手につづけますが―― 人が
 ★ デカンタ
 ☆ であってもよいと思うのですが その中身については 話の前提としてしっかり決めておかねばいけないと考えます。
 というのは この《ガミガミ役のガミガミ放射能とアース役の慈悲》というのは あくまでミサイルの発射とそれの受け留めという事態を取り上げているわけなのですから。

 そのことにしぼって どちらも《空》であるのではないかと問うています。

 そのことが確定したなら そのあと おっしゃるように
 ★(要約) デカンタがありグラスがあり そこにはいろんなワインが注がれるでしょうし その多様性というのは 極上ワインから毒入りワインまである。
 ☆ ということになると確かに思います。

 ★ 空き
 ☆ の問題は 一般に誰であっても そのデカンタぶりとしては 言ってみれば何でも入る。のだと思います。限定されているとは見ないでよいと思うのですが?


 さらに勝手にこちらの考えをつづって行きますが 《毒》はですね けっきょくひとつにそのことを相手に指摘し批判し非難します。やめなさいと言います。そういう問題です。
 《よいもの》というのは けっきょく《わたし》としてのデカンタ自身です。その内面に湧き起こるおいしい水のようなものが 感じられるといったこととしてのように。



 あっ。
 ★ 〜〜〜〜〜〜
 困るのは、デカンタ
 「わたし」が拾ってきたものたちで
 溢れんばかりにいっぱいになって
 それなのに「流すところ」がなくて
 デカンタが洪水を起こすことです。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ☆ 人は 電波は流さないものです。言葉で伝えたりあるいは振る舞いで影響を及ぼしたりすることはあっても クウキをかもしだす電波で人に意志疎通をおこなうことは 基本的にしません。

 ですから 《わたし》から 何かを流すことはしません。基本的にはっきりとことばをつうじて自己表現します。
 知識や経験が蓄積されることはありますが 別にそれをほかの人に流すのではなく コミュニケーションの過程において伝えるというのが 基本です。
 やはり デカンタではなく 発信=かつ受信の基地です。電波ではなく情報のです。


 と考えますが どうでしょう?



 こんばんは。
 まづは 《電波》と言って通じることに 時代が変わったとさえ思っています。
 その昔わたしは どうもおかしい どうしてもおかしいと思って おやぢやおふくろにまで 尋ねました。いまさっき電波のようなものをわたしに向けて流していなかったか? と。

 二人ともそれぞれ同じように曰く。《視線》のようなものを感じたのか? と。けっきょく最後まではっきりとは うんと言わなかったのですが どうやら分かっているみたいだったのでした。

 電波論としましては わたしのキライなフロイト先生に倣って 《性と支配》の問題だと見ています。性欲と支配欲とが どちらかに比重をおいて しかもブレンドされて 飛んで来ます。
 異性を意識したものは 性関係のデンパが大きな比重を占めます。上役と部下の関係では 支配欲もしくはそれの挫折から来るくやしさや不平不満で出来た電波です。

 まぁ 家族のあいだで飛ばすデンパは それほど大したものではないのかも知れません。
 
 あるいは 思いが相手に伝わるという場合もあるように認識しています。これは いわゆる以心伝心の場合です。これには必ずしもデンパは 必要ではないとやはり理解しています。《思い》のみによってであり だいたいその当人のふたりが 親密な関係の場合だと思われます。

 あるいは
 ★ 〜〜〜〜
 ガミガミもアースも
 一時的なものなんぢゃないかな、とか。
 〜〜〜〜〜〜
 ☆ であったなら あまり苦労はしないと思います。
 けっこう常習犯もいますけれどね。
 あと パワー・ハラスメントの中に含まれている場合もありますから これなどは 困りものです。

 少々きたないことを言えば けっきょくことばで表現しないで デンパを出すことは 《意識を排泄している》のだとわたしは分析しています。だから しないにこしたことはありません。

 そんなことを思っています。(むろん 見直すべきところがあれば 自分にも問い質して行きたいと思います)。