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哲学いろいろ

神の治療(アウグスティヌス)

ところで治療は健康にいたる道である。
これと同じようにこの治療は罪びとたちを救いだし 健康を回復させるためになされる。


医者が傷口を縫い合わせるときは むやみにでなく 適切におこなう。そして傷の手当という実用だけではなく 見た目にも美しく見えるようにする。
それと同じように知恵の行なう治療は人間の姿をとることによって われわれの傷口に合わせてくださる。
ある傷にはそれに合ったものをまたある傷にはそれと反対のものをあてがうのと同じである。
身体の傷を治療する医者も 熱を帯びたものには冷たいもの 湿気のあるものには乾いたもの その他そうした類のもののように ある反対のものをあてがう。
ところが似たものをあてがう場合もある。丸い傷口には丸い絆創膏を 細長い傷口には細長い絆創膏をあてがい すべての肢体に同じものをあてがうのでなく 同じ形の傷には同じ形の布をあてがう。
このように神の知恵が人を治療なさるとき 治療するために ご自身をさし出される。医者みづからが薬になる。


だから人は傲慢のために高みから落ちたので 人を癒すために神が低くなられたのである。蛇の知恵によって欺かれ 神の愚かさによって解放される。
けれども神はかの知恵と呼ばれているのに 神をなみする者にとっては 神は愚かであった。そのようにかの愚かと呼ばれた方は 悪魔に打ち克つ者にとっては知恵なのである。
われわれは われわれが死ぬために不死の性質を悪用したのであるが キリストはわれわれが生きるために死すべき性質をよく用いられた。女性の腐ったこころから死が始まり 女性の完全な体から救いが現われた。
神の徳を模範とすることによってわれわれの悪徳が治療されることは異種療法に属する。女に欺かれた者どもを女から生まれた者が 人びとを一人のひとが 死すべき者たちを一人の死すべき者が 死者たちを死によって解放されたのは われわれの肢体や傷口に 傷と似た形の繃帯をあてがうのと同じである。やりかけた仕事を私のように進める必要のない暇な方々がもっと熱心にお調べになったら これ以外にもいろいろ キリスト教的な異種療法や同種療法の症例が見つかることであろう。
キリスト教の教え De doctrina christiana 』 加藤武訳 第一巻第14章〔13〕)