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《楽》について。
◆(梵我一如がエクスタシーにたとえられることがあるらしい) 〜〜〜
▼ (ウパニシャドより) ~~~~~~~~~~
愛する女に抱かれた男は外なるか内なるかを知らぬように 全智なるアートマンに抱かれたうつせみの自我は外なるか内なるかを知らぬ。
(ブリハド・アーラニヤカ・ウパニシャド ? 3・21)
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密教では合一体験を男女合一に結びつける大楽(たいらく)の思想が説かれる。
(定方晟(あきら):空と無我――仏教の言語観―― 1990)
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大楽――ちなみに わたしのPCでは だいらくと入力して得られる――については 苦の対義語だと思って けっきょく《自由意志の全面的に発揮される状態》と見ていた。
つまり 苦は 思うようにならないこと・おのれの自由にならない状態なのだから。
つまり 楽は 自由意志が 恩恵に勝ちをゆづってそれにしたがっている道において その自由をかえって恩恵によって建てられるという事態が起きるという意味に解していた。
違うかも知れない。