ハヤトロギア(つづき)
中間報告として:
宮本久雄のハヤトロギアは
自己差異化 / ケノーシス
が鍵語になるらしい。
梵我一如というとき――神の霊のやどるわれが その霊のはたらきに支えられるとき―― 梵つまりブラフマンつまり神は むしろ人とのあいだに差異化を図ると言う。
なぜなら 神にしろ霊にしろ無にしろ絶対にしろそれらは みな人間の言葉であるに過ぎないから。神とわれとの一体を言うより 隔たりを知らせるほうが 大事だと言う。
この神のほうからの自己差異化は どのように為されるか?
それが ケノーシス=自己無化だと言う。
神も神の子キリスト・イエスも そして神に倣って神のしもべアブラハムも誰もかれも ケノーシスを実践する。
そこに神の自己差異化が成り ようやく神のもとに神と一体であるようになる。
(たぶん テオーシス=神に成ることは イエスのみのことだと思われる)。
ただし ややこしい。(?)