caguirofie

哲学いろいろ

永遠の現在

l'éternel présent

過去は 現在における記憶。未来は 現在における期待(予測)。としてあるなら あるのは 現在のみ。

 ですから そこへ《復活》を差し込むわけです。
 《あなた自身が 涸れない泉となる》といった意味での復活です。

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 アウグスティヌスの《永遠の現在》 見つけました。

Augustini Confessiones 
Liber XI  CAPUT 13

sed praecedis omnia praeterita celsitudine semper praesentis aeternitatis, et superas omnia futura, quia illa futura sunt, et cum venerint, praeterita erunt;

http://www9.georgetown.edu/faculty/jod/latinconf/latinconf.html

 ▲ 〔『告白』第11巻第13章〔16〕(山田晶訳)〕 〜〜〜〜
 あなたがすべての過ぎ去った時間に先立つのは ≫常に現在である永遠の高さ≪によるのです。それによってあなたは すべての来たるべき時間を追い越しておられます。じっさい それらの時間はいまは未来ですが やってくると 過去となるでしょう。
 ▼ 〔同上箇所(宮谷宣史訳)〕 〜〜〜〜〜
 あなたは≫常に現在である永遠の高さ≪によってすべての過ぎ去った時間に先立ち またすべての未来の時間を追い越します。何故なら それは未来ですが それらは来てしまうと過去となってしまうからです。
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 ☆ 《あなた=神》は《常に現在である永遠の高さ》であるとなりますから 神は時空間を超えて 永遠の現在という非時間にある、と言えると思われます。
 
 そうしますと では この神の《永遠の現在》を どのように考えてわれわれ人間にあてはめようとしたのか? にナゾは移ります。
 或る日或る一定の時にではないように思います。生身の生きているあいだの復活ということを捉えようとしていて いつしか そういうふうに人間のもとへ《永遠の現在》を持って来た。ように思います。いいのかなぁ。