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哲学いろいろ

韓国語は日本語のルーツか?

そうだと言う李寧煕説の批判にかかります。手紙の形式にて。
 

 《あくたい・もくたい》――「記紀・万葉の解読通信」No.11所収――の議論について少し異なった解読の余地があるのではないかと考え 筆を執りました。
 ちょうど今 トゥングース諸語を勉強中で アクタイに関しては これらの諸語に 
 ○ アクタ: 去勢された〔トナカイ・馬・牛〕
 ☆ という単語があることを知ったのです。


 ○ akta- :トナカイを去勢する( кастрировать оленя)=(α)とする。
 1. エヱ゛ンキ語:(α)
  ○ aktakaa:去勢されたトナカイ=(β) / トナカイを去勢する術を
   知っている人
 2. ソロン語:去勢馬・去勢牛
 3. エヱ゛ン語:aak-:(α)/ (β)(騎乗用)
 4. オロコ語:xakta(ハクタ):(α)
 5. ナ-ナイ語: akta mori(n)-:去勢馬
   ○ xakta-:(α)(トナカイに限らず)
     xaktato:去勢された
     xaktoaxa:馬
 6.マンチュー(満州)語:去勢馬
   ○ aktala-:(α)(トナカイに限らず) / 罪びとを去勢する /
   馬に乗る / 〔荷を背に〕負い分ける / 容器に弓形の把手耳をつける
 *〔以下は トゥングース・マンチュー語派のほかのいわゆるアルタイ語族
 7. モンゴル語:agtala- :(α)(トナカイに限らず)
   ○ agt :去勢馬
 8.ヤクート語: at:去勢された
   ○ attaa:(α)(トナカイに限らず)
    attaki / attiki:去勢された


  (以上は 『トゥングース・マンチュー語派比較辞典』ナウカ1975より引用)


 これらを見ると 李寧煕女史の解読と 語義がそっくりです。つまり 現代韓国語の
 ○ アクテ( aktae )→
   アクテ‐マル:去勢馬
   アクテ‐ソ:去勢牛
   アクテ‐ヤング:去勢羊
 ☆ と意味が同じです。
 また アクタ( akta )だけではなく aktakii(エヱ゛ンキ語)や attaki(ヤクート語)の語形もあるので これらから -k- が脱落して アクタイになる可能性があります。
 次に 馬を意味する語の mori(アルタイ語族)が 韓国語のマル( mal )と対応すると思われるごとく akta- も あるいはおっしゃるように アグ‐タイ=子供‐もぎ取り という語源に分解することができるのかも知れません。
 これは akta- が そのトゥングース諸語で 語源として明らかでないので いまひとつはっきりしません。ただしまた ぎゃくに xakta-(あるいは hakta- )のごとく 語頭に x- ( h- )が現われる形態も見られ それは アガ・アグと対応するかどうかは 分からなくなるかもわかりません。(むろん h- は フランス語のごとく 落ちやすいようですが)。


 日本では 中国から宮刑の制度をおおまかに言って採り入れず 宦官をつくることがなかったと見られます。また一般に動物の去勢の習慣もあまり行なわれていないと言われます。ので このアクタイが 去勢に関係した語としてなら 日本語に固有のものではないと おおよそはっきりしています。

 いまはまだ 議論の余地があると考えられること このことのみをお伝えしようという趣旨です。すなわち アクタイが 去勢者の意味の語として韓国から入って来たとしても その語源また出自は まだ韓国固有の語だというまでには 明確ではないと言うべきでしょう。


 わたしは古代韓国語とそして古代日本語とが 互いに似通っていて さらには一つの基層としては同じ一つの言語であった部分を持つのではないかと考えている者ですが もう少し議論の余地があるのではないかと思う点を もう一・二例 挙げたいと思います。


 同じトゥングース諸語に
 ○ aksa-:侮辱を感じて立腹する / 侮辱する(つまり いわゆる悪態をつく)
 ☆ という語があるようなのです。


 ○ aksa-:侮辱を感じる( обидеться)=(γ)
 1. エヱ゛ンキ語:(γ)
   ○ aksan:侮辱・無礼・腹立たしさ・いまいましさ / 争い・けんか
 2. エヱ゛ン語:aas-:(γ)
   ○ aasan:=エヱ゛ンキ aksan
 3.以下 語例を省略します。
 

 ☆ つまり アクサが アクタやアクタイ(悪態)に変わることはあり得ます。例として ふさぐ(塞ぐ)=ふたぐ。


 こう見て来ますと いろんな可能性が考えられます。偶然の類似から 借用語である場合や 果ては 同源の語である場合などです。
 ただこれらはまだ 基礎語彙であるとは言い難いようにも思われます。
 長くなりますが もう一点 別のことがらで考えてみます。たしかに日本の相撲は モンゴル相撲(ボフ)や韓国のシルムから来たのかも知れません。つまり後者は 言葉も同じです。(ルが取れて シムからシモ→スモとなる)。
 と同時に 聞くところによりますと ポリネシアミクロネシア(いわゆるアウストロネシア語族)にも 同じように すもうの習慣があったと言います。あるいは 日本で独自に発明されたかも知れません。(格闘技ですから 似たり寄ったりでしょう)。
 すなわち以上のことから言えることは 言語と生活習慣のすべてを韓国から持って来たと考えることには少々無理があるのではないでしょうか? すなわち可能性があると同時に つねに別の可能性もあり得て まだまだ説明不足の感をいなめないのではないでしょうか?


 たとえば
 ▲ いかなるプロセスを経て韓国語が日本語になり変わってきたのか。(p.5)
 ▲ 日本語のルーツである韓国語。(p.6)
 ▲ 日本語が どのような方程式を通じて韓国語から変貌してきていることばなのか。(p.15)
 ☆ といった見方は――もちろんそれを具体的に研究し その裏付けを発表されて来ているわけですが―― ほかの見方もあり得るだろうということをもはや閉ざすかのような発言ないし口調に響きます。
 あらためて 日本語のあくたい(悪態)が韓国語のアグ‐タイから来ているとしても 今ではその語源が 日本語では分からなくなっているのが現実です。アグ・アゴは 阿児として解読できますが タイ(タ)=取る・摘むなどという語は 日本語からは解明できないものです。
 ということは なるほど韓国語起源だと仮りにしましても その起源のことばが 日本語として日本の地で一定の方程式とプロセスを経て用いられ保存されてきたというその反面で じつはそれは このアクタイという一つの語の問題なのであるに過ぎないということも考慮しておかねばならないはずです。
 もしおっしゃるように
 ○ アクタイ(悪態)← 子供(アグ)‐もぎ取り(タイ)
 ☆ という起源であるとしますと それは日本人から見て〔と代表のごとく発言しますが〕 きわめて違和感のある発想であり語の成り立ちだと思います。つまりもしこの起源にもとづくなら おそらく日本語にとってこの語は外国語であると考えます。つまりむしろ一つの借用語だとなります。
 つまりは 借用関係の証明がせいぜいであって 言語の同系を言うには百歩も千歩も勇み足であろうと考えますが いかがでしょう。