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哲学いろいろ

ヂャワ語

その敬語事情

昭和59年出版という旧い本ですが そこからヂャワ゛語における《敬語》事情を引用して紹介します。
 ▲ 石井和子:ジャワ語の基礎 



 1. 普通体:ンゴコ( Ngoko )語としてのヂャワ゛語
 2. 丁寧体:ンゴコ語と共通の語彙のほかに クロモ( Krama )丁寧語を用いる。
 3. 尊敬・謙譲語:一部の語彙として クロモ・インギル( Krama Inggil )語群がある。
 4. ンゴコ体とクロモ体の中間=マディヨ語:数としてごく一部。
 

 5. 文例  Ngoko 体・・・・・・・・・・・Krama 体
 (1) Gedhang iki tak-pangan.・・・Pisang punika kula tedha.
   バナナ-この ぼく-食べる。・・バナナ-この 私-食べます。
 (2) Radhione tak-dandani.・・・・Radhionipun kula dandosi.
   ラヂオはぼくが修理する。・・ラヂオは私が修理します。
 (3) Gedhange ko-pangan.・・Pisangipun panjenengan dhahar.
    バナナは君が食べる。・・バナナはあなたが召し上がられます。
 (4)Radhione ko-dandani.・・Radhionipun panjenengan dandosi.
   ラヂオは君が修理する。・・ラヂオはあなたが修理します。


 6.語例  Ngoko 体・・・・Krama 体・・・・・Krama Inggil 体
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 ・ ある: ana・・・・・・・・wonten・・・・・ ―
 ・出かける:budhal・・・・・bidhal・・・・・ tindak
 ・起きる: tangi ・・・・・・ tangi・・・・・ ・・ wungu
 ・ 買う: tuku ・・・・・・・tumbas ・・・・・ mundhut
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言語習慣として複雑であればあるほど 人びとの心は広がると言えるのかも知れないですが 必要以上に複雑である場合もあるとすれば どうなるでしょうか。
 《貴様》だとか《御前》という尊敬語が 俗語に変わり果てたように言語事情は 動態的な過程にあることも重要ではないでしょうか。
 
 現代ヂャワ語事情に明るくないままにてごめんなさい。