caguirofie

哲学いろいろ

宗教は必要か

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie

ふたつ主題があります。

 ひとつは 個人の信仰と集団としての宗教とを分けて捉えることです。

 組織宗教というのは 個人の信仰から得られた観想(テオーリア)をさらに理論(テオリー)として・倫理規範として・もしくは教義として しかもこの教義を守ることを――人間の能力と意志の弱さからして守られるはずもないけれども――至上命令とした集団心理としてのあつまりです。


 
 ひとつは 日本人の置かれているその位置ないし条件が 特殊であろうと思われることです。

 日本においては 信仰は――憲法にのっとる限りで――良心・信教の自由でまもられています。
 そして宗教となると かたちをもった組織としてではなく まづ日本という社会ないし国じたいが そのひとまとまりとしての存続およびその秩序安寧という観念において おおきく日本教という宗教をかたちづくっています。

 これは 《和を以って貴しと為せ》という観念の共同・あるいはつまり共同幻想・さらにあるいはいわゆるクウキのことです。これが・これも れっきとした集団心理であり そのあつまりです。

 個人として 和をたいせつにする。敵をも愛するという倫理規範として表現されるそのことを大事にしている。――というかたちで ひとつには 現われると思われる信仰をいだいている。(という意味は 敵を愛するというおしえを 自分ひとりの力で為し得るとは思っていない)。

 ところが このおしえが共同の観念として持たれるときには 個人の次元を超えて 集団としての心理となりそれとしての志向性をかたちづくります。
 日本教は――或る意味でそれは基礎として神道のことですが―― その心理共同やらクウキやらのままに 組織を作らずして成った宗教です。

 この日本教のもとに いわゆる具体的な宗教が――個人の次元ないしその信教の自由とはあたかも別様に――各宗教および各宗派に分かれます。神道・仏教・キリスト教およびコミュニズムに大きく分かれ さらにそれぞれが各宗派に細分化されています。共産主義ないし社会主義も むろんのごとく おおきくはこの日本教に属します。
 日本教キリスト教派・プロテスタント部・何々支部ですとか 日本教・仏教派・法華経部・日蓮支部創価学会支店のごとくにです。



 もしこの構図の中にそのまま――何も考えずに 《日本人らしく 物分かりのよいあたまに成って》――入っていくとすれば あとは 社会力学の問題です。成り行きによって自分の所属した支部の宗教が隆盛となる場合があるということではないでしょうか?

 ちなみにわたくしは 組織宗教は 個人の信仰が自殺行為をした結果うまれたと考えています。わがたましいを 社会力学という名の悪魔に売った――それによって 或る程度は出世できる――その自殺行為によって生まれている鬼っ子であると。したがって すべての組織宗教に対して 自己解体を勧めています。