caguirofie

哲学いろいろ

2 Corinthians 3:5

2Cr 3:5 Not that we are sufficient of ourselves to think any thing as of ourselves; but our sufficiency [is] of God;
Lexicon / Concordance for 2 Corinthians 3:5


3:5 οὐχ  ὅτι  ἱκανοί  ἐσμεν  ἀφ᾽ ἑαυτῶν  λογίσασθαί  τι  ὡς  ἐξ  ἑαυτῶν  ἀλλ᾽ ἡ  ἱκανότης  ἡμῶν  ἐκ  τοῦ  θεοῦ

English (KJV) Strong's Root Form (Greek) Tense
Not g3756 οὐ ou

that g3754 ὅτι hoti

we are g2070 ἐσμέν esmen

sufficient g2425 ἱκανός hikanos

of g575 ἀπό apo

ourselves g1438 ἑαυτοῦ heautou

to think g3049 λογίζομαι logizomai

any thing g5100 τις tis

as g5613 ὡς hos

of g1537 ἐκ ek

ourselves; g1438 ἑαυτοῦ heautou

but g235 ἀλλά alla

our g2257 ἡμῶν hēmon

sufficiency g2426 ἱκανότης hikanotēs

[is] of g1537 ἐκ ek

God; g2316 θεός theos

村上隆のフィギュアは 天皇へのオマージュか?
 それとも パロディなのか?

 それは 例の16億円で売れた・《自己満足》の象徴のようなフィギュア作品を言います。

 次が そのたたき台です。歴史的な背景の説明をともなったフィギュアの心の解明です。お聞きください。

    *

 フィギュアをめぐる萌えと燃え。
 そこには負け組と勝ち組と規定したかたちに現われた階級闘争があるかないか?

 たしかに 現代の日本社会としての固有のあるいはそれとして特殊な事情や情況はあるだろうが 問題はやはり通史的に捉えた日本人の社会そして特には 国家の誕生からその展開過程を焦点とする歴史 にその答えを解く鍵があるだろうね。

 展開過程と言っても じつは 何にもない。誕生のあとそこで成立したその国家の仕組みが 内部での組み替えは起きたとしても――征夷大将軍や市民資本家が 実権を握るお上になったとしても―― まったくと言っていいほど その体制は変わっていない。
 この社会の成り立ちとしては 

  スサノヲ( S )市民‐アマテラス( A )公民 

 この連関制である。これは 二階建て構造を有する。そして A 圏における権力と権威の分離をも考慮に入れるなら こうである。

  市民社会圏( S )‐〈政府公民圏 ・ アマテラシテ(象徴)〉( A )

    * アマテラシテ( amatérasité; amaterasity; Amaterasität ):
    アマテラス( amaterasu )公民ないし天皇の抽象名詞化。

 アマテラス圏のアマテラス政府は じつはすでにスサノヲ市民政府である。主権者スサノヲによって権力が構成されている。ただし 国家として成り立った《 A - S 連関制》じたいは いささかも変わっていない。
 そして アマテラス圏なるお二階さんが スサノヲ市民らによって形成されているにもかかわらず 一般的なクウキないし社会通念としては 相変わらずその第二階なるあたまで立っているかのごとく 逆立ちした連関制である。

 けっきょくことは――問題は―― アマテラス圏における象徴アマテラシテを どうするかにある。
 そもそも――神話としての伝承によるとは言え―― スサノヲ市民らが もともと平屋建ての社会にあって生活しており そこから第二階をこしらえて アマテラス族をそこに住まわせたのは そのように《くにゆづり》をしたことからだったからである。
 どうしてもアマテラス族が――かれらは それはそれは品行方正・学力優秀だったからのようだが―― この世の中を 自分たちにまかせて欲しいと頼みに頼んで拝みに拝んで それにとうとう根負けしたスサノヲらは 社会にも やしろを作ってそこにかれらをまつりあげた。これが くにゆづりだったことに起因する。
 
 スサノヲらにしてみれば あまりにも駄々をこねるゆえに しばらくは特別の場所をあたえたという程度に過ぎなかったかも知れない。ところが 一たん第二階ないしあたかも 雲の上のスーパー・ヤシロなる神棚に腰を据えたが早いか あとは そのまれにみる能力をほしいままに使い切るまでに使いこなすほどに 国家経営にはげんだことになる。権力と権威との分離がなされたあとも このお二階さんとしてのまとまりは びくともしなかった。


 結論である。
 要するに 駄々をこねる子供から早く人びとと自由に対等に話し合いができるおとなに成って欲しい。千五百年経ったが どれだけ経ってもまだまだ待っているんだぞというメッセージを送り続けていることになる。これが フィギュアのねらいだという読みである。

 その思いを大枠として――その解決がなされなけれ人間存在の話としては何ごとも始まらないほどの枠組みとして―― あとはその時代時代のなかでさまざまに文化的・経済的な進展に応じて そのメッセージの具体的な中身が変遷して来ている。反抗と言っても せいぜいが 一揆ていどである。
 つまりは現代としては フィギュアもオタクも萌えも――そして 燃えは A-S 連関制におけるむしろ A 圏の側からの応答としてのごとくであるようなのだが―― このメッセージをそれとして体現していると考えられる。


 むすび:
 アマテラス圏は 社会のどう考えても主役であるしかないスサノヲ圏のスサノヲ市民らに その大政を奉還すべきである。はやくおとなにならねばならない。

 権力をただちにスサノヲ圏に返すと 国際関係において チカラの均衡がくづれるおそれがあるとするなら その安全保障のことをも考慮しつつ 大政奉還していけばよい。


 おまけ:
 だから フィギュアに自分の時間を割く人びとは いわゆる階級関係における権力闘争をしようとしているのではない。日本においては それは 筋がちがう。
 逆立してしまった連関制なる二階建ての成り立ちを 風通しのよい・おとなの話し合いができる自由な仕組みに作り直そうと言うのみ。
 だから けっきょく自己満足でしかない世界において自己満足でしかない手段によって 心の内なる心の奥の心にうったえている。もともと くにゆづりをしたからには 返せとか下りて来いとか なかなか直接には言いづらい。まして 引きずりおろそうとは していない。心への呼びかけにおさまる。

▲(◆反キリスト


18:ヨハネの手紙一 / 2章 18節
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子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。


19:ヨハネの手紙一 / 2章 19節
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彼らはわたしたちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう。しかし去って行き、だれもわたしたちの仲間ではないことが明らかになりました。


20:ヨハネの手紙一 / 2章 20節
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しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。


21節
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わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知り、また、すべて偽りは真理から生じないことを知っているからです。


22:ヨハネの手紙一 / 2章 22節
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偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。


23:ヨハネの手紙一 / 2章 23節
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御子を認めない者はだれも、御父に結ばれていません。御子を公に言い表す者は、御父にも結ばれています。


24:ヨハネの手紙一 / 2章 24節
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初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう。


25:ヨハネの手紙一 / 2章 25節
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これこそ、御子がわたしたちに約束された約束、永遠の命です。


26:ヨハネの手紙一 / 2章 26節
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以上、あなたがたを惑わせようとしている者たちについて書いてきました。


27:ヨハネの手紙一 / 2章 27節
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しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。