聖書の神の名前
☆ 名前は 人間のことばで言い表わしただけのものですから 仮りの表現です。
★ 聖書の神は誰だと考えますか。
☆ 仮りに表わした名前でさらに人格神として物語にして表現しています。
★ 世界には聖書中のいろいろな人物を神として崇拝していますが本当の神はだれでしょうか。
☆ 《本当の神》は だれもがそのこころの内に知っています。心配要りません。
人間の知恵や指導力などの能力 あるいは雷を轟かせ雨を降らせるなど自然の驚くべき力 これらをそれぞれ神々として捉えた場合もあります。これは ほんとうの神のもとで人びとが素朴なこころで言わばおままごとの神々をつくって遊んでいるものです。
さて聖書には ふつうに《神》という場合とその存在内容にかんがみて名づけた場合とがあります。
《エル》というのが 《かみ》にあたる言葉のようです。
ですが 神はモーセに名前を訊かれて エフヱフ=《わたしはある》と答えています。
▲ E-hweh asher e-hweh.
(逐語英訳) I-am who I-am.
=《〈わたしはある〉 それが わたしである》。
☆ このつてでは 例のヤフヱフ(つまり ヤハヱー)は
▲ Ya-hweh : He-makes -〔 someone 〕- be.=《かれは〔何ものかを〕あらしめる》
☆ と使役形の用法として採りたいところですが これは定説ではありません。三つの子音つまり H-W-H でつくる語が《ある》を表わします。ヤフヱフは その使役形ではないかと疑われるのです。
定説ではないのですが ただ 『詩編』の作者は 自分がヤハヱーによって《あらしめられた》と歌っていますから 趣旨が異なると採る必要はないと考えます。
▲ (詩編 2:7) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
主はわたしに告げられた。
――お前はわたしの子 今日、わたしはお前を生んだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☆ むろん母親の胎内からの誕生のことではなく ものごころがついてからの人間としての第二の誕生のことだと考えます。
モーセと言いこの詩編の作者と言い ことは 《存在》論にかかわっているようです。その内容にからませて 神の名が現われているようです。
そしてふつうの《神》の語としては エルから エローヒームが派生しています。
▲ へブル語: ( sg. ) エローホ ( pl. ) エローヒーム
▲ アラビア語:( sg. ) アル‐イラーハ⇒ アッラーハ
☆ へブル語でも ハー‐エローヒーム と定冠詞をつけて言います。余計ですが この冠詞も エローホ=イラーハの同一語であるのと同じように 同一だったと考えられます。
▲ 定冠詞 *hal ⇒(1) haa :(例) haa Elohiim
⇒(2) al :(例) al-Ilah = Allah
☆ 名前や人格神としての物語における表現 これらは あくまで仮りのものであるということが 大事だと考えます。比喩による表現という意味です。ほんとうの神が 人間のことばで言い表わされ得るとは思えません。
そしてしかも ほかの回答にあるように この霊なる神ヤハヱーは 三つの顔を持っていて 子の父 父の子 そして両者から出る聖霊だと言います。
物語は断ち切れませんでした。そのうち独り子なる神が 霊なる神のまま同時にイエスという人間になったと言います。イエスは 自分が去ると 人びとに父とともに聖霊を送ると言いました。うんぬんうんぬんと続きますね。