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哲学いろいろ

《第二の死》とは?


 《死が死ななくなった状態》を言うらしい。

 死は われあやまつならそのあやまちに気づきわれに還り われ有りとして 死ぬものである。 

 わが心に背きわれを離れあやまてるわれは われ無しとして 死である。
 これがわれに還れば われ有りとして 死が死ぬ。

 このあやまちとしての死は 人間の経験的・相対的で限りある存在にとって なおまだ相対的にして変わり得る。その死が われに還るとき 死なしめられる。

 つまり 《第一の死》は 死ぬことが出来る。
 《第二の死》とは この第一の死が死ななくなることである。


 あやまちをなぜ《第一の死》と言うか? 
 それは わが心にさからうあやまちの一瞬に わが存在としての時空間が経験存在であるそのままに実際に限られて来るからである。物ごころのつく前のわが広大な宇宙が 時間を見出しこの時間によってわが存在の歴史として限られることは 死によって限られることだからである。
 あやまちは 心を失くしわれ無しとなる死である。ただし われに還るとき われ有りとして この死は死ぬ。ゆえに 第一の死と言う。
 われわれは 人生において 第一の死に突っ込むようにして落ち入りそこから這い上がり再生するという死と生の循環のごとき繰り返しを生きる。
 ところが この第一の死が死ななくなると言う。如何にか?

 かんたんである。われに還ることがなくなるときである。
 あやまちに気づいても それを認めなくなるときである。
 われ有りの状態に復帰することがなくなるときである。
 心にさからうわれ無しの状態が・つまり第一の死が 固まってしまうときである。
 そのときには ひとは第一の死から再生しなくなる。
 
 第一の死が死なない。第一の死が 固定する。という第二の死。

 
 基本的に言って それは 心のたかぶりによって起こると思われる。のではないか?
 ほんとうにそうか?
 それだけで 第二の死が起こるものか?
 果たして 第二の死は あるのか?